仙台赤門短期大学 看護学科

宮城県仙台市の看護師養成学校|仙台赤門短期大学 看護学科

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教職員コラムリレー

第22回出し惜しみしない

佐藤 浩一郎

人と話をする時、私は、おおよそ話を聴く態勢(傾聴)に入ってしまいます。

職業病みたいなものです(30年近く精神看護の領域で働いてきた過程での認識です)。

良い悪いは別として、人の話を否定することはありません。他人を否定できるほどたいそうな人間ではないし、

仰々しく表現すれば、人の人生のデリケートな部分に介入するに際しては、

バランスのとれたスキルがいるということを経験から知っているからです。

そんなことができる人は、精神医療・看護・福祉・心理学での著名な理論家や実践家クラスかもわかりません。

ただし、話を聴く態勢に入ってしまうのは、自分の人生をふり返ってみると、必ずしも職業柄ばかりではなさそうです。

 

ひとつは親の影響だと思います。

幼児期に両親が離婚し片親で育ちましたが、この半世紀を生きた年齢にもなると、

親の「ありがたみ」がボディーブローのようにじわじわと効いてきます。

ひとことで『感謝』しかありません。父親は本当に誰に対してもやさしかったです。

もっというと、いつも人の話を良く聴き、それから対話を展開するという姿が今でも鮮明にあります。

 もうひとりは、恩師(精神科看護を師事する)の存在です。

恩師が他界され7年目という時間が流れましたが、今も携帯の番号を消去できずにいます。

何となく電話をしたい気持ちになるからです。恩師は“看護の神様”のような方でした。

その圧倒的なあたたかさと包容力にどれだけ助けられたことか。簡単に表現すると話を聴いてくれることです。

その後に、包み込むようなトーンで話をしてくれました。

その人柄と人間力は大物著名人(恩師の友人)からも常に注目されていました。

 恩師や親はもとより、他にも影響を受けた人からいただいたことは、

「出し惜しみしない」ということだと、最近そのように切り取ることができました。

なぜそのように感じ取ったか理由はわかりません。自分の中で突然しっくりときた、そういうことだと思います。

『自分を出し惜しみしない姿勢』は、人のすべての生き方に通ずる気がしています。

 

身の丈に合った行動しかできませんが、傾聴だけでなく何かに、

誰かの助けになれるような場面では、出し惜しみするのはやめよう。

これまで助けてもらったこと(人)、いっぱいもらったことを誰かに少しずつ返してゆく、

そんな恩返しをしてゆこうと思っています。