第21回「スピノザが母性看護学教員の私に『世界に住まう人間』について教えてくれた。難解だった…」
2020年1月26日(日)
本日は2日前に1年生の基礎看護学実習Ⅱが終了し、ひと息つける休日です。
今朝は太陽の陽射しがリビングの南東の窓から差し込むので、観葉植物を窓辺へ移動し光合成させることにしました。
私は、観葉植物を育てる環境(世界)で「癒し」に満ちた生活を過ごしています。
今回は「世界に住まう人間」について考えたいと思います。
青空は気分がいい! シーリングファンの空気循環を体感するとソファに居座ってしまいます!
そもそも私は学生時代から人間の存在や認知に関心がありました。
人間がいかに存在し、どんな思想を抱くのか、それは文化や社会にどの程度影響されうるか、
人間のこころの構造を考えては、その都度、カオスの中へみずから彷徨いにいきます。
私は仙台に来て6年を迎えようとしています。
東北に知人がいなかったので暮らし始めた当初は安寧の場所を獲得するための土台作りからはじめました。
いい意味で社会的なしがらみに囚われないので、その結果、現在の仙台の生活は私が選んだ事物によって構成されています。
私が仙台での暮らしでもっとも足繁く通う場所は定禅寺通りにあるせんだいメディアテークです。
ここでは年に数回(不定期)「てつがくカフェ」が開催されています。
「てつがくカフェ」とは、自明のことについて、そもそもそれはいったい何なのかと
参加者と対等性の作法のもとで意見を述べあって考えを逞しくしていくもので、
それに参加することが私の生活の楽しみのひとつです。
その「てつがくカフェ」を支えているスタッフらは、読書会、抄読会や書評カフェをも開催しています。
私はそれらにも参加し、5年間で「死を超えるもの-3.11以後の哲学の可能性-(著)森一郎」
「人間の条件(著)ハンナ=アーレント」「あなたの人生の物語(著)テッド=チャン」
「マクベス(著)シェークスピア」などの文章に触れては侃々諤々と議論してきました。
哲学を専攻する大学院生が主宰する抄読会では2時間で2ページしか進まないこともあります。
また、東京大学の哲学教授が主宰する看護理論家パトリシア=ベナー「現象学的人間観と看護」の抄読会でも同様です。
哲学者が開催する抄読会は、看護の世界ではなかなか経験しない時間の使い方をされます。
さらに、結論のない議論にも意義があったと心地よい疲労感をもちます。こういった経験から学んだことがあります。
人文系を学ばれた方は対象が人間であっても「読み」はあくまで客観的態度です。
一方で、看護学的態度は患者も同じ人間だという見方を獲得するために、
(初学者である看護学生時代は)対象者を自分の生活に馴染ませるような形で理解することを教えられます。
人文系と看護学の「人間理解」の仕方には違いがあるように思います。
定禅寺通りにあるアンティークなカフェで読書会を開催しています!
さて、今回私がお示ししたいのは、読書会で1年間かけて読んだ17世紀の哲学者スピノザ(1632-1677)の
「エチカ」(直訳すると「倫理学」)という書物です。
ここには、人間の行為、感情、知性や社会のあり方について書かれていて、
①人間に自由意志はないこと、②ことものの本質は「形」ではなく「力」だという人間観、
③活動能力の増大と減少(と善悪の再定義:今回は省略)が提案されています。
これらについて具体的に見ていきます。
① スピノザは「自由意志」を否定しています。私たちがひとつの行為を選ぶとき、
実際にはその背後に複雑な要因があるといいます。
例えば、日本文化的なものの見方、仙台市内でやれることなどが要因のひとつだとイメージするとわかりやすいかと思います。
② スピノザはものの本質を、馬や牛といった外形や解剖学的な違いで分類される「形」ではなく「力」で見ようとします。
同じ馬でも、環境や関係が異なれば、野生馬、競走馬、家畜となるということであり、固定された見方に縛られず、
それぞれの環境で独自にのばしうる「力」としての人間の本質について述べています。
③ 最後に、「活動能力の増大=力」がスピノザの最大の目標ですが、これは「自由」と言い換えることができると思います。
この自由は単なる制約からの解放ではありません。例えば、魚は水という制約の中でこそ活動能力が発揮できます。
つまり、水から離れると自由にはなれません。人間が自由になるということは、何の制約もなくなることではなく、
その条件にうまく沿って生きることということです。
読書会では、スピード重視かつ科学的な見方が根づいている現代でスピノザのものの見方は難しいとの意見に対し、
そういった生活から離れた時にスピノザが役立つのではないかという応答がありました。
それを聞いた私は、意識してスピード感ある生活から遠のく日をわざわざ作ろうと思いました。
哲学的対話のおもしろいところは、他者の見方がしばらくするとそれがあたかも自分の意見であったかのように、
しっくりと腑に落ちるところです。
今回のテーマである人間がどんな世界に住まうのかということについてですが、
私たちはこの世に生まれた時から社会文化的に規定された世界があり、
その規定のうちで意識的あるいは無意識的な主観的世界で生活をし、
その条件の中でうまく生きることができた時に「満足」が生まれると解釈しました。
(誤訳があるかもしれません、ご容赦願います)
看護学生のみなさんが、今回ご紹介したスピノザを授業で学ぶ機会はないかもしれません。
そこで私からの提案です。看護師国家試験必修問題範囲の中で頻出されているアブラハム=マズローの
「欲求階層説」に触れ人間のこころ/感情の理解に臨むはいかがでしょうか。
実は、マズローの欲求階層説には看護学の教科書に記されていない「自己超越」という次元があります。
「自己実現」のさらに上「自己超越」とはどんな世界でしょうか。人間のこころ/感情について考察してください。
自分自身で「満たされた」生活を手に入れたいものですね。
いくつになっても二宮金治郎
2020年1月27日(月)
本日から母性看護学実習が始まりました。
生命の誕生、この世に生まれた人間を育てる医療現場で、2年生の看護学生さんはどんなことを感じとられているのでしょうか。
ぜひ感性を育んできてほしいと思います。いってらっしゃい。
~そのひとらしく~ ~やりたいことに従い行動できるこどもは元気です!!~