仙台赤門短期大学 看護学科

宮城県仙台市の看護師養成学校|仙台赤門短期大学 看護学科

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教職員コラムリレー
Akamon Column Relay

第19回後悔の少ない年に

菊地 真

12月21日 サッカー天皇杯準決勝、鹿島対長崎戦をテレビで観戦した。

久しぶりの元日決戦に鹿島が出られるか、大事な試合だけに力を込めて応援した。

辛勝と評された試合であったが、取り敢えず元日の楽しみができた。

 

1995年5月16日 鹿島スタジアムでJリーグ初戦を応援した。

その試合は躍動するジーコさんのハットトリックもあり、5-0と快勝だった。

24年経っても、あの勝利の感動は忘れていない。

最近、そのジーコさんのネットニュースを見た。数年前にも同じ話題が出ていたが、やはり気になり覗いてみた。

元オランダ代表 ヨハン・クライフとのことだった。同じ飛行機に乗り合わせながら、

彼の邪魔をしたくないと声をかけなかった。間もなくしてクライフが亡くなったことを知り、悔やんだという話だ。

負けず嫌いで、常にチャンスを掴もうとするジーコさんが、

その時は素晴らしい機会になったかもしれない瞬間を逃してしまった。

しかし、それはジーコさんが相手を慮った故のことだ。

相手の立場や状況を考え、どう対応するか。

難しいことだが、その時のジーコさんのように常に相手を考え、振る舞えるようになりたいものだ。

 

そして、その記事を見て、私も後悔していることに思いが至った。

何度となくクラブハウスや練習場を訪れ、ジーコさんとお会いしていたのに、

一度としてサインをもらうことができなかったことだ。

ジーコさんが目の前に現れるといつも硬直してしまい、サインも握手も頼めなかった。

必然としてジーコさんは他のサポーターに行ってしまう。

元ブラジル代表 ジョルジーニョのサインはジョルジの車を停めてまでもらったのに。

鹿嶋市にあるショッピングセンターのジーコさんのブロンズ像ですら、神々しくて見つめるだけだった。

 

同じチャンスを逃す結果でも、ジーコさんの相手への配慮と私の憧れを前にした硬直では相当に意味が異なる。

 

令和初の天皇杯タイトルを取れば21冠になる鹿島アントラーズ。

元旦早々から、幸せな時間を過ごしたい。

そして、次にジーコさんとお会いできたら、その時はサインをいただこう。