仙台赤門短期大学 看護学科

宮城県仙台市の看護師養成学校|仙台赤門短期大学 看護学科

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第4回看護と仙台と桜ー温故知新

立石 和子

 

ここ仙台ではもう桜の盛りを過ぎてしまいましたが、5月12日は「国際看護師の日」と定められています。その由来は「近代看護教育の母」とされるフローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale、1820年5月12日 – 1910年8月13日)の誕生日からきています。

そのナイチンゲールの言葉の一つに、

天使とは 美しい花を

まき散らす者ではなく、

苦悩する者のために

戦うものである。

という一文があります。

すなわち、看護者においては、見かけの美しさではなく、苦悩する者のために戦う姿こそが真の美しさであると諭す言葉なのでしょう。

 

いっぽう、日本のナイチンゲールともいわれ、NHK大河ドラマ「八重の桜」でも有名な新島八重(1845-1932)はこのような言葉を残しています。

 『自分がいくら不機嫌だからといって、自分の怒りにまかせて他人を怒るなどということは許されません』

このように、八重は感情にまかせた行動を戒めています。

そしてさらに、『どんなに波が荒く強くても、心の岩は決して動きません』

と、八重は、たとえどんな試練に遭遇しても、強い心(意志)があればそれを乗り越えられると語っています。

つまり八重は、『人生で一番大事なことは、いつも“満たされた心”でいることです』

と言っており、人やモノには依存せず、自分自身の心の中に幸せを見つけることこそが、真に心を満たすと指摘しています。

そしてまた、『心の美しさがあれば、他に何の飾りもいりません』

との言葉も残しています。

現代に生きる私たちも、日々の暮らしの中で、心の強さ・心の美しさを失うことのないようにしたいものです。

 

ここで、お話は変わりますが、仙台市内に二華高(にかこう:宮城県仙台二華中学校・高等学校)という学校があります。その二華校という校名の成り立ちについて調べてみたところ、校名の由来は、初めに明治37年(1904年)、私立東華女学校が設立され、その後は宮城第二女子高等学校に統合されたという学校の歴史から、第二高女の「二」と最初の東華女学校の「華」をとって二華校と命名されたとのことでした。

この東華女学校の前身である東華学校の初代校長には、同志社の創立者である新島襄が就任しています。そして新島譲の夫人は、前出の新島八重なのです。

そもそも新島襄は、病院と看護師の育成の場を設けるべく、同志社病院と京都看病婦学校の建設にまず着手し、明治19年(1886年)9月には京都において、旧宣教師館を診療所兼看護婦学校として使用し、ナイチンゲールのもとで看護を学んだ米国人看護師のリンダ・リチャーズ(Linda Richards 1841-1930)を学校長として迎え、京都看病婦学校を先行開校しています。

さらに新島譲は地方の教育にも力を入れました。同志社の分校を設立しようと、ここ仙台の地に足を運び、明治19年(1886年)10月に宮城英学校を開校し、翌年6月には、その学校名を東華学校と改称されたとのことです。すなわち前出の東華学校の誕生です。

ちなみに新島譲とその夫人八重は、明治20年の東華学校の開校式に臨み、そのあと二人で避暑のため北海道へと足を延ばしたとのことです。

 

今年3月に、九州の長崎からスタートした桜前線も、5月の中旬には北海道の東部まで達します。長い歴史を見てきた、凛とそびえ立つ一本の桜の木は、春を迎えてその花を咲かせ静かにその花を散らしています。そして今、元号も平成から令和へと変わりました。しかしながら、看護する人の心とは、いつの時代にも変わりない一貫した同一性を有するものなのではないでしょうか。時代が変わっても故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る。温故知新の拙文でした。  (文中敬称略)

仙台赤門短期大学キャンパスの窓から見える桜の木