仙台赤門短期大学 看護学科

宮城県仙台市の看護師養成学校|仙台赤門短期大学 看護学科

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教職員コラムリレー
Akamon Column Relay

第5回「校歌」の思い出

金野 明子

前回掲載された立石先生のコラムに、私の母校である宮城県第二女子高等学校の前身である東華学校のことが載せられていました。わが母校の歴史は、明治19年の東華学校に始まり東華女学校、宮城県第二高等女学校(第二高女)、宮城県第二女子高等学校(二女高)、さらに県立の中高一貫校として生まれ変わった宮城県仙台二華中学校・高等学校へと、長きにわたり続いています。

 私は高校時代1年間ほどギター部に所属していました。在学中は知らなかったのですが、合唱部・ギター部の部員は、卒業25年目には同窓会の幹事をすることになっていたとのことで、私の友人が代表幹事だったこともあり、私にも役割分担のお知らせが来ました。卒業して20年ぶりに合う仲間もいましたが、あっという間に時間をさかのぼり青春時代に戻っての話が尽きませんでした。その中で「校歌」の話題が出ましたが、聞いたことがある方はお分かりと思いますが、二女高の校歌は歌詞・曲調ともにゆったりとした雅(みやび)な印象の校歌です。このゆったりしたクラシカルな曲調に、入学当初は戸惑いました。しかし卒業して数十年以上経た現在でも、歌詞の2番までほとんどの歌詞を覚えています。
校歌の二番冒頭の「黄金(こがね)花咲くみちのくの・・」の部分は、大伴家持の歌「天皇の 御代栄えんと 東(あずま)なる みちのく山に 黄金(こがね)華(はな)咲く」に由来しているとのことです。「東華(とうか)」の名もこの和歌からの由来と聞いています。「夕焼け小焼け」「どこかで春が」などを作曲した草川信が曲をつけ、大正15年に校歌として制定されました。スーパーグローバルハイスクールに指定され、令和の時代に新たな道を進む二華中・二華高になった現在もなお校歌として歌い継がれていることを知り、卒業生として感慨深いものがあります。
音楽を聴くと、その当時の思い出が情景とともに鮮やかによみがえるとよく言われます。懐かしい校歌のメロディとともに、私の青春時代の一コマも色鮮やかに浮かび上がってきました。

校歌(二華中・二華高のHPより)