仙台赤門短期大学 看護学科

宮城県仙台市の看護師養成学校|仙台赤門短期大学 看護学科

MENU

教職員コラムリレー
Akamon Column Relay

第65回ことば遊び

菊地 真

【先日の授業の一場面】

事前学習の確認を含め、演習の内容について質問をした。

すると学生達は、まるでクイズ番組の早押しのように質問に対し返答してくる。

 

教員「気管内吸引はどこのガス交換能を維持・改善するの?」

学生は自分の学習ノートやテキストをくまなく確認しだす。

学生A「ハイホー、ハイホー」と身を乗り出し、回答する。

教員「2回も続けて言われると、それはディズニーランドじゃない?」

学生達はきょとんとしたかと思うと「行きたいな~」「コロナで行ってないよね~」と話し出す。

私とすれば、「肺胞」と歯切れよく言ってほしかった。

そして、白雪姫の“Heigh-Ho”に聴こえたという意味であったのだが、学生の思考は肺胞から千葉に飛んで行ってしまった。

切り替えて、質問を更に続ける。

教員「呼吸困難がある場合には顔色はどうなる?」

学生B「青白くなる」

教員「そうだね。青白いで蒼白だね。顔面蒼白というよね」

教員「では、感染をしたりすると熱が出るけど顔色はどうなるの?」

学生達は回答を思案しだす。

学生C「赤くなる」

学生D「あっ、赤面?」

学生Dは学生Cの話に引き寄せられ、違う方向に行ってしまった。

学生Dは直ぐに間違いに気づき、笑い出す。

教員「赤面は、今のあなたの心境では?」と一緒に笑ってしまった。

学生E「発赤?」

教員「感染に引きずられましたね」

教員「赤でも紅、ベニの方ですよ」

学生達「ベニ?」学生の頭の上に???が湧いている。

教員「糸偏に工です」

学生達の中に顔面紅潮がみえてきた。

しかし、「ちょうって?どう書くんだっけ?」という声が聞こえてきた。

教員「サンズイに朝でしょう」

学生F「あーっ、あさしおの潮か」

一件落着した私の中に(あさしおって、相撲取り?あさしおのしおって?潮?汐?、

なぜ学生が朝潮を知ってるの?)という疑問がわきながら、演習を続けた。

基礎看護学実習室

 

【国語辞典】

小学校の時に国語辞典を与えられた。

勉強の全てが苦手で、小学生時代から放課後の居残りなども普通であった。

当然、国語も苦手だが、なぜか偶に「あ」行から国語辞典を読んでいた記憶がある。

寝る前に読めば効果的な睡眠導入剤になった。

しかし、言葉の意味や使い方を知ることもでき、思い出しては「あ」から読み直した。

国語辞典で面白いと思ったのは、同音異義語である。

 紅潮とは「赤みがさすこと」

 好調とは「調子がいい様子」

 校長とは「その学校を代表し、最高の責任を持つ人」

というように同じ音で表現されるのに意味が異なる言葉が国語辞典にはたくさんあった。

その国語辞典を、文章を書く時や手紙を書く時には活用していたが、

パソコンを使うようになってからは一段と開くことがなくなった。

結局は未だに「ん」には至らない。

だから語彙力が乏しいのだと反省しつつ、パソコン頼みの毎日である。

その国語辞典を与えてくれた父が春に亡くなった。

「親」という字が木の上に立って子どもを見ているという説をテレビドラマなどで聴いたことがあったが、

漢字のつくりからみると「新しくできた『親』の位牌を拝んでいる姿」が

成り立ちであるとの説が有力なようである。

今は木の上よりも高いところで見下ろしているだろう父親に時折手を合わせている。

 

【難しいことを簡単に】

最近は、駄洒落のつもりで話したことが学生には伝わらないことが多くなった。

まあ、「親父ギャグ」は常に相手にされずに、スルーされることにも慣れてしまっているが…

口頭による言葉は文字よりも意図が伝わらず、授業においても時折、困難な場面に遭遇する。

それでも私の拙い説明の意図を汲むようにして応えてくれる学生には本当に感謝している。

以前お世話になった教授から「難しいことを簡単に伝えることが教授者の務めである」と教示を受けた。

難しいことを難しい言葉のまま使い、説明することは誰でもできる。

しかし、それはその言葉の意味を理解できているとは言えない。

難しいことを自分の中で咀嚼・吸収し、自分の言葉で表現できるまでに深めなければいけないと。

専門用語はまさに難解な言葉である。

その言葉をそのまま患者に伝えても伝わらない。

それと同様に初学者である学生にも伝わらないということだ。

その時、井上ひさし氏の「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、

ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと」を思い出した。

(この言葉についても私は「・・・・・・ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、

まじめなことをゆかいに、ゆかいなことはあくまでもゆかいに」という記憶もあった。)

これも娘さんの著書には「まじめなことをだらしなく、だらしないことをまっすぐに、

まっすぐなことをひかえめに、ひかえめなことをわくわくと、わくわくすることをさりげなく、

さりげないことをはっきりと」と続くのだと記されていた。

物事には表裏があり、その両方を網羅しているものを見ているだろうかと。

自分の表現した言葉を様々な角度で見て、丁寧に吟味して用いたのかを考えなくてはならないと気づかされた。

しかし、まだまだ未熟な私には重厚な表現ではなくても、

まずはその言葉の意味を簡単に表現できるように努めていきたい。

そのためにも多くの言葉を知り、その使い方、成り立ちを学ぶことは、これからも私の課題としたい。

駄洒落は「つまらないしゃれ」であるが、言葉を自分のものとして使うトレーニングにはよいと考えている。

この先も学生にできるだけゆかいにことば遊びとして駄洒落を使っていこうと心に決めた。

                                                                

                     

三省堂国語辞典

 

井上麻矢:夜中の電話 父・井上ひさしの最後の言葉,集英社インターナショナルe単行本,2017.