第145回ルース・ジョンストン看護婦の詩
3年生の皆さんの看護研究の助言をする際、私は、ジョイス・トラベルビー著(訳 長谷川浩、藤枝知子)「人間対人間の看護」を紹介することがあります。
今年に入って、その書籍のページをパラパラと開いてみました。「冒頭」に、ルース・ジョンストン看護婦の詩が載せてありますが、この詩を読んだことがある方もいらっしゃるかと思います。この書籍の中で、ジョイス・トラベルビーが書いた、感謝のことばによると、ルース・ジョンストン看護婦は、癌の激しい痛みを生きながら、トラベルビーの執筆に価値ある示唆と励ましとを与えてくれた看護婦さんだということが書かれてありました。
私が初めてその詩と出会ったのは、看護教員1年目の時でした。一つ年上の同僚が、ご自身の講義資料として当時の学生に配布する際、私にその詩が入った講義資料を渡してくれました。読んだ私は、とてもこころを揺さぶられる思いがしました。患者サイドのこころの叫びが、私のこころに響き、沁みわたってきました。同時に、この詩は、看護する側に、日々のこころの持ち方を問うているように思いましたので、紹介いたします。
「きいてください,看護婦さん」 ルース・ジョンストン 作
ひもじくても,わたしは,自分で食事ができません。
あなたは,手のとどかぬ床頭台の上に,わたしのお盆を置いたまま,去りました。
そのうえ,看護のカンファレンスで,わたしの栄養不足を議論したのです。
のどがからからで,困っていました。
でも,あなたは忘れていました。
付添いさんに頼んで,水差しをみたしておくことを。
あとで,あなたは記録につけました。わたしが流動物を拒んでいます,と。
わたしは,さびしくて,こわいのです。
でも,あなたは,わたしをひとりぼっちにして,去りました。
わたしが,とても協力的で,まったくなにも尋ねないものだから。
わたしは,お金に困っていました。
あなたの心のなかで,わたしは,厄介ものになりました。
わたしは,1件の看護的問題だったのです。
あなたが議論したのは,わたしの病気の理論的根拠です。
そして,わたしをみようとさえなさらずに。
わたしは,死にそうだと思われていました。
わたしの耳がきこえないと思って,あなたはしゃべりました。
今晩のデートの前に美容院を予約したので,勤務のあいだは死んでほしくはない,と。
あなたは,教育があり,りっぱに話し,純白のぴんとした白衣をまとって,ほんとにきちんとしています。
わたしが話すと,聞いてくださるようですが,耳を傾けてはいないのです。
助けてください。
わたしにおきていることを,心配してください。
わたしは,疲れきって,さびしくて,ほんとうにこわいのです。
話しかけてください。
手をさしのべて,わたしの手をとってください。
わたしに,おきていることをあなたにも,大事な問題にしてください。
どうか,きいてください。看護婦さん※。
( American Journal of Nursing,1971年2月号より )
‐出典:トラベルビー 人間対人間の看護,訳者代表 長谷川浩,医学書院,2000年‐
看護学生時代に、この詩を読んでいただければ、と思います。
※ 以前、男性は「看護士」、女性は「看護婦」と呼んでいたが、2001(平成13)年「保健婦助産婦看護婦法」が「保健師助産師看護師法」に名称変更となったため、2002年から、男女共に、「看護師」と統一された。