第14回「広瀬川と少年時代」
数十年ぶりに近所の河原に立った。
生家は広瀬川沿いの一角に立ち、河原は浅瀬の多い場所だったことから少年時代は遊び場の一つになっておりました。
釣りを筆頭に、メダカや昆虫採取、川渡り、水切り(平らな石を水面に投げて飛び跳ねていく回数を競う)、
化石探し、探検など遊びは何通りもありました。
放課後や休みとなれば、近所の同級生達とよく遊んでいたことを思い出します。
庭や排水溝付近でミミズを取り釣り糸を垂らす。
当時は「オイカワ」「クチボソ」と呼ばれる10㎝前後の魚がよく釣れました。
時には、鮎や鯉がかかることもあった。
釣った魚はバケツに入れて持ち帰るが、ある日、庭の池に放し祖父が大事に飼っていた大小の金魚を全滅させてしまったことも・・・。
夏ともなれば川の水位も下がり川底が見え隠れするなか向こう岸に渡ることもできたが、
苔(こけ)や水流に足をとられ、全身ずぶ濡れになることもしばしばでありました。
8月16日(送り盆)には、毎年灯篭流しが開催され、町内の各家庭で思い思いに創作した灯篭に火を灯し、
住職による読経の後、上流から次々と灯篭が流されて行く光景は子ども達にも幻想的に見えました。
残念ながらこの行事は数十年前に廃止されてしまいました。
また、冬になれば、河原で大きな雪だるまを作ったり、凍りついた水面に石を投げ厚さを確かめながら乗っていたこともありました。
幸い割れて落ちることはなかったが、危ない遊びをしていたと思い背筋が寒くなります。
河原を上流へと歩き「経ヶ峰」(伊達政宗の霊廟)の絶壁の下を進むと竜の口渓谷入口(現:青葉山公園庭球場付近)に着きます。
ここにはよく貝や葉などの化石を採取しに行きました。
何層も重なる地層の中から原型がそのまま見つかることも珍しくありませんでした。
さらに冒険心はV字の沢を奥地へと進ませ、恐怖心とも闘いながら八木山橋の下まで達します。
その後も奥へと進むと八木山動物園の裏手へ辿り着き、谷を登って帰ったことも。
大人になった今は二度と行きたくはない場所の一つでありますが、現在は柵で覆わられ立入禁止となっています。
当時を振り返ると、よく子供同士でいろいろな場所を往来していたことを思い出します。
幸いにも大きな事故や怪我に遭遇せずに来れたことに今は安堵するばかりです。
現在では、川で釣りをして遊ぶ子供の姿はなく、自然を相手の遊びから他の遊びへと変わり時の流れを感じます。
また、近年の大雨などにより地形や流れが変化し危険な場所が増えたこと、地域で見守る大人の姿も無くなったことも要因の一つであろう。
河原は大人の背丈以上の草木で覆われ「危険」や「遊ばない」の看板、そして「立入禁止」の柵が立ち寂しい状況であるが、
いつまでも杜の都のシンボルであるきれいな広瀬川であってほしい。
「オイカワ」 「クチボソ」
「経ヶ峰の絶壁」 「竜の口渓谷入口」