第49回十年一昔 (じゅうねんひとむかし)
十年一昔とは、
「世の中は移り変わりが激しく、10年も経つともう昔のことになってしまう」という意味のことわざです。
マーケティングリサーチ会社の日本リサーチセンターが、「時代のスピード感」に関して十年一昔と言うけど、
今だと「一昔は何年くらい」だと感じますか、とアンケートを行っています。(以下引用)
『この調査(2019年8月実施)では全国の18~79歳の一般男女を性別2区分と年代6区分に分け、
その掛け合わせの12区分で100人ずつ、計1200人の回答を得ました。
まず何年くらいが「昔」と感じるか聞くと、全体では「5年」(33%)が最多となりました。
次いで「3年」が19%、通説となっている「10年」は15%でした。
5年以下は合計で75%を占め、「1年」も8%いました。
それに対して「10年半以上」はわずか4%でした。
この結果を性別×年代別で見ても、12区分全てにおいて「5年」が最多となり、上記傾向とほぼ共通となった一方、
10年が最多となった区分は1つもありませんでした。
男性40代と女性70代においては1年が3位となっており、そのスピード感はさらにアップしているようです。』
私の「10年前」
2011年発生し甚大な被害をもたらした東日本大震災から10年が経ちました。
震災の時、わたしは南三陸町の仙台銀行志津川支店で仕事をしていました。
地震発生後に津波を想定し指定されていた高台に避難し全員無事でしたが、津波により店舗は破壊されました。
(仙台銀行志津川支店の建物と内部)
私は隣の登米市の寮に住んでいましたので、そこから被害を受けなかった登米市津山町の支店をベースとして
南三陸町に通い仕事を続けました。
まず、行ったことは顧客の安否確認で、避難所となった小学校・中学校・高等学校を訪問しました。
次に、高台にあった取引先の空き地にプレハブを建て、また避難所を訪問して相談窓口を開設しました。
当初は、銀行との取引(通帳の再発行、届出印の改印、現金払い出し等)について問い合わせが多数ありましたが、
電気も情報端末もないところでの、顧客対応は満足いただけないものでした。
(プレハブの相談窓口)
(臨時相談窓口)
震災から1年2か月後に銀行が導入したのが愛称「どこでも窓口」の移動店舗です。
これは自家発電装置を付けた3トントラックの荷台部分を改造して、
ATM(現金自動預払機)を搭載し、簡易窓口を設けたもので、津波で支店が全壊した3地域へ曜日を決めて訪問しました。
私はそのうち2地域を担当しましたが、「どこでも窓口」に馴染みの顧客が来てくれました。
(荷台が横にシフトして広くなります)
(場所:南三陸町歌津復興商店街)
今後の銀行の営業について日々考えてながら顧客と接していましたが、その中で一番感じたことは「みんな元気で前向きだ」ということです。
震災前の志津川地区は、林業、漁業を中心とした地域でしたが景気は悪く、特に建設業界は倒産寸前の危機的状況でした。
震災後、建設業が復興工事関係でV字回復しました。
生産加工業者は設備関係施設を国からの補助金により新築し、震災により消滅した販路の回復・開拓を図っていました。
小売業は、これも補助金を利用して被災した業者が集まり商店街(現在の南三陸さんさん商店街)を造りました。
いろいろ悲しいこともありましたが、地域は震災により息を吹き返していました。
様々な支援制度のお陰ではありますが、もともと持っていた頑張り気質・知識・人脈・パワーのベクトルが良い方向に向いていると感じましたし、
私も同調していました。
未だに復興途中の場所もあり、この時の体験は10年が経っても「昔」のことではないと感じています。
私の「5年前」
2016年に銀行を定年退職し短期大学設置準備室に入り、
膨大な申請書類の作成、官庁との調整のための東京出張等々が約1年間ありましたが、私にとってはついこの間の事です。
(高校生向けアンケートのため初めて作成したパンフレット)
全く分野の違う仕事でしたが、みんなの協力で2018年4月に短大を開学し、今春初めての卒業生を輩出することができました。
これから、この仕事を何年間続けるか分かりませんが、仕事に対する自分なりの目的を持ち続け、また健康に留意し頑張りたいと考えています。
以上のとおりで、私の「時代のスピード感」は全くアップしていませんね。
最後に、「どこでも窓口」の取材を受けたものが、まだYouTubeに残っていますので、興味がある方はご覧ください。9年前(2012年)の私です(笑)