COLUMN

第160回『答えは自分のなかに』

私は本学に着任して三年目を迎えましたが、教育とは何かという問いに自問自答しながら学生の皆さんと関わっています。さて、そんな私ですが、自身の教育観に影響を与えたエピソードとして、祖父との思い出を紹介してみようと思います。

私の祖父はとある片田舎に住んでいたので、目の前にはとうもろこし畑、庭には祖父が丹念に育てた盆栽、物置には沢山の古書があったりと、私にとっては宝物が詰まったお家でした。そんなこともあり、年に一度あるかないかの祖父の家へのお泊まりが楽しみの一つでした。

あれは春休みの出来事だったでしょうか。ある時、祖父と一緒に田んぼ道を歩いているとオタマジャクシが沢山いるのを見つけました。すると突然、祖父から「オタマジャクシは前足と後ろ足、どちらから生えるか知ってるか?」と聞かれました。知らないと即答すると、オタマジャクシをよく見てみなさいと言うのです。祖父は勤勉かつ謹厳実直でしたので、家から持ってきた鍋にオタマジャクシを捕まえ、当然のごとく私に差し出しました。まじまじと見てみましたがすぐには分かりません。少し困って祖父の顔を見上げてみたのですが、答えを教えてくれることはありませんでした。当時の私は小学校入学前後だったと思いますが、諦めずに観察すると違いに気づけるもので、自分で出した答えを伝えると「よく答えを見つけたな」と喜び、優しい笑顔を向けてくれました。幼心にも、じんわりじんわりと染み入ってくる何かがあったのを覚えています。

さて、みなさんにとって学びとはなんでしょうか。

今のご時世、課題に取り組むにもインターネットで世界中の情報が手に入ります。しかし、クリック一つで得られる情報の真偽は不確かですし、誰もが手に入れられるものに、一体どんな価値があるのでしょうか。
インターネットは非常に便利ですが、省略と効率化は似て非なるものです。
学生の本分は学業ですので、学びのショートカットにならないようにと願っています。
むしろ、今は苦労を厭わず様々なことに関心を寄せ、心と頭を思う存分使ってください。
学生の皆さんには、自分なりに感じ、考え、答えを導き出す、その過程を大切にしてくれることを願っています。

助教 島倉 蓉子