第135回教育とはなにか、常に考え続けることの大切さ-林竹二先生の講話をヒントに考える-
今回のコラムリレーのお題は「教育への想い」である。このお題をきいて、私は直ぐに林 竹二先生のことを思い出した。林 竹二先生は、1906年栃木県矢坂町(現矢坂市)で生まれ、1985年になくなっている。東北帝国大学(現在の東北大学)法文学部哲学科で哲学を学び、東北大学で哲学の教授となり、宮城教育大学の学長に就任したこともある日本の教育者であり、哲学者でもある。
私が一方的に林 竹二先生に出会ったのは、夜遅くのNHKテレビ番組の映像である。その映像は白黒映像であり、古い映像であることには違いないが、カラー映像のテレビから白黒映像が映し出されることにむしろ興味をそそられた。私の記憶をたどりながらその映像の紹介をし、私の考えを述べたいと思う。
映像のなかで林竹二先生は教授と教育の違いについてお話をしていた。その内容は「教授とは知識や技術を教えることであって、教育とは知識や技術を教えるだけではなく、人をも育てる、教育の育はまさに育てるということです。」と、教授を超えた教育の重要性についてふれていた。私はこの言葉にショックを受け、すぐに林 竹二先生が書かれた本を購入し読んだ。人を育てるとはどういうことなのだろう。教育が人を育てるのか。教育とはすごいものだ、教育はその人の将来の方向性を決め、その人が生きる環境、その人が生きる地域・文化をも変えてしまうのだろうか。教育ってなんだろう、人間ってなんだろうと思った。(林先生は人間についても触れていた。)
また、林 竹二先生は、学校ではできないといわれている子ほど、林 竹二先生の話を食い入るように、目を輝かせながら聞いているとも話していた。坊主あたまの小学生の男の子が眉間にしわを寄せじっと考えながら林 竹二先生の話を聞いている映像を私はまだ覚えている。
人間を尊重し、人間の内なる力(潜在能力ともいうのか・・・)を引き出すのが教育者の仕事か・・・・
宮城教育大学の学生運動でも、林 竹二先生は当時宮城教育大学の学長でいらっしゃったが、学生の意見に耳を傾け、対話で問題を解決する姿勢を貫いた。
林 竹二先生の映像は、私のそれまでの考え方を大きく変えた。学生運動の時代と聞くとかなり昔と感じるかもしれないが、人間に対する考え方や人間の根源にあるものはそう変わってはいないのではないかと思う。混沌とした不透明な現代だからこそ、原点に立ち戻り教育とは何か、教育の根底にあるものはなにか、人間とは何者かなんて考えるのもいいかもしれない。
私が見た映像は「授業の中の子どもたち」ですね。たぶん・・・。