仙台赤門短期大学 看護学科

宮城県仙台市の看護師養成学校|仙台赤門短期大学 看護学科

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第97回【非常勤講師特別コラム】第9回「たかがマスク、されどマスク」

学生カウンセリング担当:日向 純子

新型コロナウィルスによる世界的危機が始まってから、もうすぐ丸三年が経つ。

私達の生活にも様々な影響を及ぼしているわけだが、その中で最も身近なものの一つが「マスク」だろう。

人生において、これほど短期間に大量のマスクを消費することはこれまでなかった。

パンデミック当初は、各所でマスクの品薄状態が続いて、驚くような高値で販売されていたり、

マスクが入荷した店の前に行列が出来たり、更には使い捨てマスクを洗って繰り返し使う人まで出てきたりした。

最近はすっかりマスクの供給が過剰となり、マスク専門店が店頭で叩き売りしていても、多くの人は素通りしていく状況だ。

日本では、屋外や人の密集していない場所、運動中等にはマスクを外している人も増えてきたものの、

屋内の公共の場では大抵の人が未だマスクをしている。

しかし、海外では既にマスクなしの生活が当たり前となっている所もあるという。

この違い何なのか?

 

新型コロナワクチン接種の初動の遅れや集団免疫形成の遅れ、第七波による感染者数の急増等、

実質的なマスクの必要性というのも確かにあるだろう。

また、ほとんどの人がマスクをしているのに、自分だけ外せないという「同調マスク」、

話し相手や周囲の人を安心させるための「忖度(そんたく)マスク」を続けている人も多いだろう。

ただ、パンデミック以前から、日本では海外に比べてマスク着用率が高かったという話もある。

日本人は目元で相手の感情を読み取る傾向があるため、目元を隠すサングラスに抵抗はあっても、

鼻や口を隠すマスクにさほど抵抗がない一方で、欧米人は口元で相手の感情を読み取る傾向があるため、

サングラスに抵抗はなくても、マスクには抵抗があるのだという。

そのため、欧米では「マスクをしている人」=「感染症をもつ人」か「不審な人」というイメージらしいが、

日本ではもう少し気軽にマスクを利用する文化が元々あったように思う。

ちょっとした風邪や花粉症等のアレルギー性疾患への対策、衛生上の必要性、

外出やネットへの投稿の際に「顔出し」をしたくない時等、日本におけるマスクの用途は幅広い。

中には、対人不安や視線恐怖、自分の容姿へのコンプレックスのために、

家の外では一年中マスク生活という人も少なからずいるだろう。

そういう人にとっては、今回の新型コロナ騒動は「マスク生活が市民権を得る」良い機会になったとも言える。

実際、マスクをしてさえいれば外出できたり、集団の中に入っていけたり、

アルバイトが出来たりするという人はいるし、マスクなしでもそうした活動は出来るけれど、

マスクがあった方がより安心できるという「マスク依存」予備軍は更に多く存在するように思う。

普段化粧をする女性にとっては、マスクがあることで「ちょっとその辺まで」なら化粧しなくても気軽に外出できるようになり、

化粧品の消費量が減ったというのは私に限ったことではないだろう。

そうした意味で、マスクを「顔パンツ」と呼ぶ若者もいるという。

言い得て妙である。

 

熱中症対策として、運動する際にはなるべくマスクを外すよう指導するようにとの通達を受け、

教員がマスクを外すように声掛けするものの、外したがらない子供が少なからずいると話題になったこともあった。

その中には「感染を恐れて」という人ももちろんいただろうが、

「顔を見せたくない」ために熱中症のリスクを負ってでも「顔パンツ」たるマスクを死守しようとした人もいたのではないだろうか。

中高生や大学生の中には、入学時からのマスク生活で、未だ互いの素顔を知る人はごく親しい友人に限られるという人もいるらしい。

実際、中学生の娘がある時、こんなことを言っていたのを思い出した。

「入学以来ずっとマスクをしていたし、昼食時も黙食で全員前を向いて食べているから、この前初めてマスクを外した友達の顔を見て、

『この人、こんな顔してたんだ』と驚いた」と。

「こんな顔」というのが必ずしもネガティブな意味ではないとしても、

少なくともこちらが勝手にイメージしていた相手の顔の全貌とは違ったということらしい。

人間の脳には、不完全な情報を想像で補って知覚するという便利な機能があるという。

そうやって知覚されたものが実物とはかなり異なる場合もあり、娘が感じた友人の顔に対する違和感もその一つだったのだろう。

娘が友人にその違和感を直接伝えたか否かは定かでないが、マスクを外した際の相手の微妙な反応が気がかりで、

以降人前でマスクを外すのが嫌になったという人もいるだろう。

新型コロナ対策としてのマスク生活をキッカケに「マスク依存」となってしまう過程には、

こうした知人・友人間のちょっとしたやり取りがあったのかもしれないと、娘の話を聞いてふと考えたりした。

 

いずれにしても、日本におけるマスク生活はもうしばらく続くであろう。

新型コロナ騒動以前のマスク着用率に戻るにはかなりの年数を要するように思う。

仮に近いうち、新型コロナが終息して感染症対策としてのマスクの必要性がなくなったとしても、

一定数マスク生活を続ける人は残るだろうし、恐らくその数はコロナ以前よりも増えるだろう。

多少熱中症や肌荒れのリスクが高まったり、多少表情や発話がわかりづらくてコミュニケーションに影響が出たり、

多少欧米人にウケが悪かったりしても、マスクを着けていることで本人の安心感が高まるというならば

無理に取り上げる必要もないだろう。

宗教的理由で頭や顔を布で覆って生活する人々もいる。

日本でも、平安時代の高貴な方々は人前で顔を隠したという。

多様性が叫ばれている今、顔パンツを履き続けたい人は履き続けてもいいのではないだろうか。

ただ、もし本当はマスクを外したいのに外せずに困っているという人は、

まず屋外の人気が少なく、知り合いに会う可能性もほとんどないような場所でマスクを外してみるといいかもしれない。

それに慣れたら、次は屋外の多少人気はあるけれど、知り合いには会わないであろう場所で・・。

こうしたことを続けるうち、多少はマスクなしで出歩ける範囲が広がってくるかもしれない。

衛生面を重視する食品関係や医療関係等、マスクの着用が肯定されやすい職業を選ぶというのも一つだろう。

たかがマスク、されどマスク。

「マスク警察」がマスクしていない人に暴言を吐いたり、マスク着用をめぐって裁判まで起きてしまうご時世には戻りたくないものだ。