仙台赤門短期大学 看護学科

宮城県仙台市の看護師養成学校|仙台赤門短期大学 看護学科

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学長の部屋

老境に至り、青年と対話する文章

老若対決 蒟蒻問答

月曜日

「先生、浮かない顔をしていますね」
「そうか、わかるかい。実はね、艮陵同窓会から、原稿執筆の依頼を受けたのだよ」

「艮陵同窓会? って、僕ら在校生を含め、医学部卒業生で作る、組織ですよね」
「うん。会員数、一万百余名というから、かなり大きな組織だね」

「艮陵同窓会会誌は、僕らにも配られていますよ」
「同窓会の事務局に聞いたところでは、七千部、印刷して配布している」

「医学部同窓生の皆様は、読んでいるのでしょうか」
「さあ。配布はしても、読まれているかどうかが問題だよ。君は読んだことあるかい?」

「いえ、頂いても、ゴミ箱に直行です。だって、年寄り連中が書いているのでしょ」
「おっと。いきなり、挑発的な発言だね。まだ書いていないけれど、自分も年寄りの一人だよ」

「読んでもらえない原稿を書くのが、気の進まない理由ですね」
「まあ、待って。もうちょっと、同窓会会誌を分析してみよう。冊子をめくると、特集と寄稿と、二つの範疇がある。特集は、編集部からの依頼原稿だろうけれど、寄稿の少なくとも何割かは、執筆者からの自主的な投稿と思う。それで、どういう人が投稿するものか、寄稿欄に掲載されたすべての文章を拾ってみたわけさ」

「先生も、随分とヒマ人ですね」
「そうだよ。それで平成十五年に創刊されて、昨年の平成二十九年に第十五号が出ている。その間に、寄稿欄には百九十四編の文章が掲載されているね」

「何を分析したのですか」
「執筆者の年齢構成さ。いや、年齢は不詳なので、正確には卒業年度さ。驚くなかれ、延べ人数でいうと、昭和年代の卒業生が百八十七人。平成以降の卒業生は、たったの七人なのだ」

「医学部を卒業するのを、凡そ二十五才とすれば、昭和の卒業生は皆様、現時点では五十五才より年長になりますね」
「うん。中年というより高年に近い。そういう年寄りが書いたものが、九十六%を占めている」

「若者が読むとは、到底、思えません」
「しかもだよ。自分の場合は、自由な題目での寄稿ではなく、依頼原稿で、次世代に告ぐ、というテーマで書くように、との編集部の仰せなのだ」

「先生から見て次世代と言ったら、私みたいな在校生ではないですか」
「年寄りが書いたものなんて読みたくない、という若者に向かって、若者に告ぐ、を書こうというのだから、正気の沙汰とは思えない」

「先生の気の進まないのも無理ないですね。ご愁傷さまです。それで、書くのを断ったのですか」
「いや。それが、そういかないのが、この世の中さ。また、正直に言うと、若者に向かって何か言いたくなるのが、年寄りの性。君もいずれ、分かるよ」

「なんだ。結局、自己正当化じゃないですか」

火曜日

「先生、何か、書きましたか」
「まだ書いてない。若者がなぜ、年寄りの言うことを聞かないのかを、考えているところだ」

「そんなことが、分からないのですか。年寄りって、とにかく話が長い、くどい、繰り返しが多いです」
「丁寧に説明しているつもりなのだけれどなあ」

「私らにとって一番、厭なのは、年寄りの自慢話です」
「それも、経験を伝えているつもりなのだけれどなあ」

「しかも、自慢しながら、おせっかいにも、教訓を垂れようとする。最低です」
「随分と、手厳しいなあ」

「せいぜいが、建前、正論を吐くばかりですから、こちらの心に訴えるものがありません。」
「正論がどうして、悪いのかな」

「偽善にしか聞こえない、というのが、どうして分からないのですか」
「でも、若者に迎合して、議論するわけには、いかないよ」

「迎合して欲しいなんて、誰も言っていませんよ。迎合したら、それこそ、最低中の最低です」
「君のような若い人が、年寄りをうるさがるのは、悪くない。むしろ、とてもいい傾向だと、年寄りの自分も、思うよ。でも、それじゃ、年寄りは、どうすればいいのだい」

「年長だの、先輩だの、そういう形式は取り払ってください。素の自分をそのまま、表現してくださいませんか」
「了解。できるだけ、そうするよう努めるよ」

「先生、意外と素直ですね」
「素直のつもりだよ。その素直の立場から、どうしても君に言っておかねばならぬことがある」

「なんでしょう」
「ほかでもない。君もいずれは、君の嫌っている年寄りにならざるを得ないって、ことさ」

「遺伝子操作やゲノム編集で、加齢をブロックできる時代には、まだなっていないですものね。自分も年をとると、年寄りの行状、覆うすべもなくなるのでしょうね」
「自戒せよ、と君に言いたいところだが、先ずは自分自身が自戒するよ」

「そうです。それが先生のいいところです」
「あは。学生に褒められている」

水曜日

「先生、ご自分に正直になったら、何か書くこと、出てきましたか」
「出てきたよ」

「先生は基礎医学の実験研究者だったから、そちらの方面でしょうか」
「大学を退職して五年。研究のケの字も、英文論文のエの字も、今や、全く縁がないからね。書くほどの事ではなく、君に話すくらいだけれど」

「自慢話じゃないですよね」
「逆さ。自分の研究者人生、後悔しているのでも、不本意であったわけでもないけれど、極めて限定的であった。その意味について話そうと思う」

「自慢話を聞くのは嫌ですが、自慢できない人生では、書くことは勿論、話すこともないのではないですか」
「まあ、そう、急かないで。とりあえず、話してみるから」

「それで、何が限定的だったとおっしゃるのでしょうか?」
「研究者って、結果で評価されるのは、君も承知の通り。その意味で、自分の業績はイマイチだった。大発見も大発明も、為し得なかった」

「イマイチどころか、全然ダメだったのでは?」
「相変わらず、手厳しい。でも、君の言うとおりかもしれないね。年寄りは、既に人生を生きてしまっているから、それを他人から否定されたくはない。少なくとも自分の中では、イマイチぐらいに留めておきたい気持ちが、どうしてもある」

「そうですよ。自己評価がイマイチなら、第三者評価は、全然ダメ。そんなことぐらい、それこそ長年生きてきたのだから、とうに分かっているはずなのに」
「うーむ。グウの音も出ないとは、このことか」

「若造に言い負かされるようでは、それこそダメじゃないですか」
「そうだね。じゃ反撃するよ。そう言い募る君こそ、何者でもないじゃないか?」

「何者でもなく、これからの者であることが、青年の青年たる所以です。年寄りみたいに、自己肯定し、自己満足したりなんかしません、できません。将来への不安の只中にあって、真摯に悩み、励んでいるのです」
「そうだった。確かに自分も若い時は、そうだった」

「先生。先生は先刻、話すことがあるとおっしゃっていましたけれど、何を話したいのですか」
「どうも今日は、調子が悪い。日を改めよう」

「そう言って逃げるのは、年寄りの悪い癖」
「映画「相棒」の主役、刑事・右京みたいな言い方だね」

「本日の講義、これにて終了、ですね」

木曜日

「先生の研究が限定的であった、という話でしたね」
「うん、結果というより、過程が、あるいは、取り組み方なり、姿勢なりが限定的であった」

「なんだ、中途半端ってことじゃないですか」
「見抜かれたか。言葉をカムフラージュしても、直ぐにばれるね」

「私は捕食者じゃないのですから、偽装工作は無しにしてください。いずれにしても、中途半端な研究結果だったのは、過程が中途半端だったからであるとは、直ちに推測ができました」
「君には敵わない。では、君の研究が中途半端に終わらないことを願って、自分の反面教師ぶりを、話してみよう」

「全力で研究に取り組まなかったのですか」
「全力で取り組んだつもりだよ」

「全力で取り組んでもダメだったのだから、後悔はない。そういうことですね」
「全力を彼方此方に分散したので、彼方、此方の各々には、全力の何分の一の力しか注がなかった」

「興味が多方面に渡った、もしくは目移りした、一つに集中できなかったということですね。研究のプロがそんなことじゃ、ダメなのは目に見えているのではないでしょうか」
「そう、自分はプロじゃなかった、アマチュアだった」

「は? 研究者って、プロ中のプロじゃないのですか」
「現役時代は自分をプロだと思っていた。だが、今になって振り返ると、アマであったと思う」

「なるほど。彼方で楽しみ、此方で楽しみ、全力を尽くして、楽しんだのですね。正直なのは結構ですが、アマのまま定年まで過ごせたのが不思議です」
「アマチュア研究者として生きていくのは、結構、つらいものがあるよ。でも、プロになり切れなかった反面、心というか精神は、フレッシュではあった」

「プロになれば必ず、心の新鮮さを失うわけではないと思います。一事だろうが、多方面だろうが、研究のプロフェッショナルとして、全力を集中して精進し、なおかつ、精神の自由を保持する。いかがでしょうか」
「青年の君が正論を言ってくれるのなんて、思いもかけなかったよ」

金曜日

「編集部からのお題は、次世代に告ぐ、でしたよね。まだ、全然、告辞を伺っておりません。今日は金曜日。講義終了までに、お言葉、いただけるのでしょうか。それとも、言葉は出てこず、尻尾を巻いて休講ですか」
「いや、講義に休講はない。雨が降ろうが、槍が降ろうが、お給料を頂いている以上、講義はする。もうちょっとだけ、話してみよう」

「はい。次世代に告ぐ言葉、期待しています」
「君も学生である以上、いずれは、恩師と呼べる先生に出会うことがあるかもしれない。自分の恩師であった、今は故人の先生について、思い出を話したい」

「年寄りはやっぱり、思い出話になっちゃうのね」
「ま、大目に見てくれたまえ。それで自分が大学院学生、ポストドクター、助手、助教授を経て、教授に就任できた時の事さ。四十二才だった」

「全然、若者じゃないですね」
「中年だね。でもその中年の自分に対して恩師は当時、七十才。恩師から見た自分は、次世代といってよい」

「若者の登場はなし、高年者と中年者の間の話ですね」
「うん。それで、就任のあいさつに出向いたところ、恩師からお祝いの言葉を頂戴した」

「口頭ですか?」
「いや、あいさつ申し上げた後日、葉書きを頂いた。そこに認めてあった」

「さて、なんと?」
「自分の研究室の研究推進に七割、加齢医学研究所のために二割、東北大学のために一割の力を注ぎなさい」

「ふーん。国家国民隆盛のため、世界人類平和のため、とは言わないのですね。研究って、何も加齢医学研究所だの東北大学だのには、とらわれない。日本全国はおろか、国際レベルで行われる、普遍的なものではないのですか」
「その通り。ただし組織人としての自分は、直接的には、東北大学の加齢医学研究所の一研究室に所属している。組織の人間としての心構えを、教えてくださったものと理解している」

「それで先生は、先生の恩師の言葉通りになさったのですか」
「できたかどうかは、わからない。でも、自分の研究ばかりにかまけないで、他人(ひと)のため、公共のためにも働くようにとのご注意であると、受け止め、努力したつもりだよ」

「ごちそうさまです」
「週間講義、終了します」

(平成31年2月)艮陵同窓会会誌 第17号に所収