
街はハロウィンが終わると、今度は一気にクリスマスムードに包まれますね。気温も下がり、灰色の雲が空を覆い、雨の日にはさらに寒さが身にしみます。木々の葉も落ち、どことなく気分まで沈みがちになるこの季節。私も以前はあまり好きではありませんでした。けれど今では、そんな晩秋から冬への移ろいに、いろいろな思い出がよみがえり、心が温かく、少しセンチメンタルになる時期でもあります。
それは、もうずいぶん前のこと。私が看護師3〜4年目を迎えた頃、東京の病院から地元・宮城へ戻る前に、カナダのヴィクトリアへ短期留学した時期が、ちょうどこの季節でした。たくさんの思い出の中から、今回は特に心に残っている一人の女性についてお話ししたいと思います。
カナダでは、ハロウィンの飾りも華やかですが、クリスマスの飾りつけはそれ以上に見事です。街のあちこちに大きなツリーが立ち、商店街の建物にはライトアップが施されます。私は滞在していたホストファミリーの家や語学学校でも飾りつけを手伝いました(これが意外と大変で…)。
ホストマザーは敬虔なクリスチャンで、教会の飾りつけにも参加するとのこと。「一緒に行こう」と誘われ、私も同行しました。教会には婦人会の女性が4、5人ほど集まっており、その中に小柄な高齢の女性がいました。ホストマザーによると、彼女の名前はアン(仮名)。90代前半で、教会が運営する高齢者住宅に一人で暮らしているそうです。みんなが次々と飾りつけを終える中、アンは小刻みに震える手で、ゆっくりと一つ目のクリスマスリースを掛けようとしていました。ほんの少し手を貸せば数秒で終わるような作業なのに、誰も手を出しません。私は「なぜ誰も手伝わないの?」と不思議に思いました。
しかし作業が終わったあと、ホストマザーが静かに教えてくれました。「フミエ、それは違うよ。アンは誰かに手伝ってほしいなんて思っていないの。今日も、自分から“手伝いたい”と教会に来たのよ。誰かの役に立ちたいと思って来ているの。」その瞬間、目から鱗が落ちたようでした。周囲の女性たちは、その気持ちを理解して、あえて手を出さずに見守っていたのです。アンが飾りつけたのは、ほんのひとつのリースだけ。けれど、彼女は私に教会の写真を見せながら、ゆっくりとその歴史を説明してくれました。英語が拙い私に、丁寧に話してくれるその姿がとても印象的でした。高齢で体は思うように動かなくても、「誰かの力になりたい」という気持ちは、年齢とは関係なくとても力強いものなのだと感じました。
その後、私は大学院で高齢者看護学を学び、現在はこの分野の教育に携わっています。
授業で「高齢者のセルフケア能力」や「価値・信念」といった言葉を扱うと、学生の皆さんには少し難しく感じられることもあります。けれど、私にとっては、あのとき出会ったアンの姿こそが、それを最もよく表しているように思うのです。