COLUMN

【第155回】平和の尊さ ―戦争の無惨さ、愚かさをいかにして伝えるか―

今年は戦後80年となる。広島・長崎への原爆投下から80年がたつ。

たった1つの原子爆弾で、一瞬にして何万人もの命が奪われた。ススのように真っ黒になった母親がススのように真っ黒になった乳飲み子を抱いて助けを求めよろめきながら歩き、やがて倒れて死んでいく。また、その他の人達も、眼球が飛び出し、皮膚も垂れ下がり、まるでお化けのようだったと被爆者は証言している。生き残った人達も原爆の後遺症に苦しみ、孤児となった子供たちは言葉では表現できないほどの壮絶な苦しみを体験し、生きてきたに違いない。死者は何万人ともいわれているが、犠牲者は何十万人ともいわれ正確な数は把握できないでいる。しかし現在では広島・長崎へ投下された原子爆弾より数倍から数十倍の威力を持った原子爆弾が世界中に12,000以上存在している。

私が小学校低学年のころ少しだけ母から戦争のことを聴いた。母はあまり話したがらなかった。戦争体験を話すのは辛かったのだろう。話すと昔に戻った感じがすると言っていた。
戦争を体験した人は徐々に少なくなってきている。2040年にはほぼゼロになると言われている。その時世の中はどうなるのか。

二度と戦争がおきないためには(私たちができることで)、現在生きている人が戦争の愚かさ、平和の尊さを実感し、何が正しいのかを考えることができ、そして常に話し合うことではないだろうか。

特任教授 小野 八千代