COLUMN

【第151回】焼石連峰の縦走 その①

看護師として就職して、2年目の秋だった。
3つ上の先輩2人から、「焼石連峰を縦走しよう」と誘われた。そんなに仲が良いわけでもなく、私にとっては結構怖い先輩たちだった。なんとなく逆らえず、「行きます」と言って山行の日を迎えた。初日に夏油温泉の国民宿舎に泊まり、山中1泊の予定だった。
北上駅を出発したバスは、燃えるような紅葉の山を奥へ奥へと分け入って行く。種田山頭火の名句「分け入っても分け入っても紅い山(青い山)」が頭に浮かぶ。
翌朝、国民宿舎の職員から「昨日、山頂は初雪が降ったから気を付けて行きなさい。上まで行けば誰かの踏み分け跡があると思うから。」と不穏な励ましを受けて出発した。

数時間の修行のような歩みのあと、尾根筋に出た。
 
右方向を指さして「あれが牛形山」と、先輩が言う。
左前方を指さして「あのピークを越えた所に、経塚山があるの。その先の山をいくつか越えると金明水という水場があって、そこにある山小屋に今日は泊まるからね。」と言う。
経塚山に辿り着き、大海原のうねりにも似たいくつかのピークの先に、天竺山という堂々たるピークが現れる。その先、六沢山の案内標識が現れたあたりに、ポツンと茶色い山小屋が見えた。


朝6時に宿を出発し、15時前に金明水に着いた。その金明水避難小屋に辿りつくまでに、私はバランスをくずして3回転んだ。
うっかり大きなリュックを買ったため、山中の食料を「これも入る?これも入れて」と先輩たちに詰め込まれ、20㎏近くになったであろう重荷を背負った。バランスを崩して転ぶとリュックが先に地面につき、一人では立ち上がることもできない重さだった。
地図で確認すると、今日1日で8キロ近く歩いている。山小屋には薪ストーブが一つポツンと置いてある。
周囲は土間で、そのまわりに狭い板の間がある。
 
小屋の外は、後ろも前も延々と続く山並みで、私たち3人以外に人影もなく、山小屋以外の人工物が何もない。
こんな自然の真っただ中という状況は、初めての体験だった。
夕焼けに沈んでいく山並みを眺めていると、自分がとても小さな存在に思えてきて不安になる。
聞こえるのは風の音ばかり、そして太陽が去った後の猛烈な「寒さ」。
街で生活していると忘れている感覚。大きな自然の中でのちっぽけな命の私。
大気の熱が、宇宙に帰っていく。
そして、突き刺さるような星のきらめき。
 
何に頼ることもできないような、圧倒的な暗闇と寒さが周囲に満ちていく。
山小屋の周りに落ちている枯草と枯れ枝を集めて、「ストーブで燃やしましょう。」と、中に入る。
湯をわかし、簡素な夕食を食べたが、あまりの寒さに早々にそれぞれが寝袋に入った。
スキー用の下着に、セーター、登山用の服上下など持参した服全てを着こんでも、悪寒が止まらない。
文明の「熱」が及ばない場所の寒さというのを、思い知ることになった。
そういえば、夏油温泉の人が、昨日初雪が降った、と言っていた。10月中旬というのは、山はもう冬の始まりなんだ。あまりの寒さで眠ることもできずに、夜明けを迎えた。
大海原のように重なる山並みに帰ってくる大気の熱。
太陽は偉大だ。太古の人たちが太陽を崇めた気持ちがとてもよくわかる。
 
私は、どこから来て、どこへ行こうとしているのか、とふと思う。
 
先輩たちが、少し先の岩に腰かけて朝食のパンをかじっている。
早くおいで、と手を振る。世界には私たち3人だけだった。
 
つづく

 
特任准教授 熊田 真紀子