有島武郎の短編『一房の葡萄』は、情景が見えるような描写が美しい作品である。
主人公である『僕』は、西洋人の多く住む海岸通りの学校に通う絵が大好きな小学生である。クラスメイトのジムが持っている西洋絵具はとても美しく、羨ましさを募らせた僕はついにそれを盗んでしまう。悪事はすぐに見つかり担任の女性の先生の前に突き出された。泣き続ける僕に、先生は2階の窓まで這い上がった葡萄蔓から一房の葡萄をもぎ取って渡してくれた。そして「明日はどんなことがあっても学校に来なければいけませんよ。あなたの顔を見ないと私は悲しく思いますよ。きっとですよ。」と声をかけた。僕はいやいやながらも先生の言葉を支えに学校に行き、ジムとも和解できるというあらすじである。
国語ではなく道徳の教科書に出ていた小説なので、教訓的なものを感じとって欲しいという意図で掲載されていたのだろう。子どもの犯しがちな過ち、それを責めずに気づかせる大人の愛情と、そこから成長する子どもの力など、多くの教えが込められていると思う。しかしながら、私がこの小説で一番心に響いたのは「明日はどんなことがあっても学校に来なければいけませんよ。」という先生の言葉である。つらいことがあった翌日は、それを理由に休まず登校・出勤した方が良い、という自分なりの道標の言葉としている。翌日さえ休めば解決する問題であれば、休むのもアリだが、1日休んだところで解決しない問題の方が多いのが世間の常である。『僕』は、罪人扱いされる明日が予想できる時点で本当に学校に行きたくなかったであろう。しかし先生の計らいがあり、良い結果が待っていた。休んであれこれ悩むより、登校(出勤)してみればそれなりの答えが出ていることが多いものだ。経験上、それは悲観的な妄想の結末より、少しはマシな場合がある。
『一房の葡萄』のように、簡単に許されることばかりではないが、失敗やミスをしてしまった後は、悩んで寝込むより顔を上げていくべき場所に行ってみること、つらい時にこそ人の優しさが身に沁みたり、普段忘れがちな感謝の心を知るチャンスでもあると感じている。
引用:有島 武郎. 一房の葡萄 . 青空文庫. Kindle 版.
教授 平尾 由美子