今年で70歳になる自分が、昔、大学の医学部に入学したのは、18歳の時でした。
6年をかけて卒業し、無事に国家試験にも合格、医師免許もいただけました。
しかし自分は臨床医学に向かないと感じていたので、病院や患者さんとは無縁の、実験研究の道に進みました。
研究者になりたいというわけです。
なるためには、大学院を修了して、博士の学位を取らねばなりません。
そこで医学部の次は、大学院医学研究科に入学。
4年の修行を経て、医学博士の学位を頂戴した時は、28歳になっていました。
丸々、10年間も学生生活を送ったことになります。
10年も費やして得た免許や学位って、何だったのか?
当時の思い出を述べてみますに、先ず、免許。
医学部を卒業し、医師として病院に就職した同級生は、お給料をいただきます。
しかも、普通の市民レベルで言えば、初期研修医であっても、高給に属するのではないでしょうか。
一方、自分は、同じ医学部を卒業したのに、無収入で貧乏な大学院学生。
彼我の落差は、心理的には、非常につらいものがありました。
しかも差別待遇?は、一生、続くのです。
その後の人生において、自分は医師免許を持っている、なんて騒いだりしましたが、ダメ。
基礎医学の研究に医師免許は必要なく、医師としての給料はいただけないのです。
当たり前のことが分からなかった。
次に学位。
では、博士の学位を取得して、研究者としてどうなったかといいますと、
自分の場合は、米国に渡って、博士研究員のポジションにつきました。
1年目の年収は12,000ドル、当時の円ドル換算で、240万円くらいでしょうか。
博士研究員とは、1年契約を毎年更新する。
更新できなければそれで失職という、不安定な職で、それを7年近く、繰り返しました。
どうして1年だけの契約なのか、なんて騒ぎましたが、ダメ。
博士研究員は年雇用という当たり前が分からなかった。
以上、自嘲気味の自伝をまとめますと、自分にとって医師免許は、取ったけれど使わなかった、無用の長物。
医学博士は、世間で言うところの「足裏の米粒」 取らないと気持ち悪いが、取っても食えなかった。
何か良いことはなかったのかなあ?
研究者は貧乏が相場との悟りに達した今は、メンキョもガクイもありがたく、感謝の念しかありません、
もちろん、騒いだりなんかしません。
米国、ワシントンで、博士研究員の頃
学長 佐竹 正延