仙台赤門短期大学 看護学科

宮城県仙台市の看護師養成学校|仙台赤門短期大学 看護学科

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教職員コラムリレー
Akamon Column Relay

第142回教育は難しいけど面白い

熊田 真紀子

今年度のコラムの「お題」は「教育」に関すること、である。

ここで、教育基本法第1条(教育の目的)について、おさらいしてみよう。
「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければいけない。」  ですと。

まず「人格を完成」させなければいけないんです。次に「平和的国家及び社会の形成者」にしなければいけません。現在、戦争して平気で他国にミサイルをぶっ放している国の偉い方々の「教育」とは、平和的国家=自国の平和なんでしょうか。
更に「真理と正義を愛し」「個人の価値をたっとび」「勤労と責任を重んじ」「自主的精神に充ちた」心身ともに健康な国民を育成することが、教育の目的なんです。

それが教員としての使命にもなるのでしょうか?
かなり「無理~」と、思ってしまう。

病院で新人看護師の育成をずーっとやっておりました。
新人が、かなり業務にも慣れて夜勤もできるようになった、ある日。
申し送り時にA看護師、「〇〇さんの排尿バッグ内に白いコアグラが浮いていました。」
先輩たち「白い?コアグラ????」(コアグラ coaggulutination aggulutinationの原義 は、「凝集」という意味だが、その診療科では「凝血塊」として用語を使用していた。つまり「血」=赤い)
A看護師は、「コアグラ」=塊、と理解していたため、先輩との意思疎通ができなかった。
ICUでの一場面。
麻酔科医師が「心不全が増強しているから、少し点滴絞ってくれる?」
B看護師は、点滴台から輸液バッグを外して思いっきり「絞った」。
ここでいう「点滴絞って」という指示は、輸液ラインのクレンメ(流量を調整する器具)を閉めて輸液量を減らしてね、という意味である。本当にバッグを絞って圧をかけたのでは、輸液量が増量して全く逆の治療となる。

日本語は難しい。教育も難しい。

自分自身のことを言うと、知らないことに気づいた時にそのままにしておけない、という因果な性格のために、無駄な知識が集積する。
ある時、「図書館の魔女」という本に出合った。
その中で、主人公の少年の姿を「椎の櫱(ひこばえ)にも似た・・」という表現があった。漠然としたイメージはあったが、櫱とは何ぞや、と気になって調べた。
古い木を切り倒した後に、切り株からすっくと伸びた若い芽のことであった。なるほど。
また、読み進んで行くうちに図書館を説明する文章で「浩瀚(こうかん)な知識の・・」という表現が出てきた。
この「浩瀚」という言葉は、「十二国記」という別の本の中で、王を支えるキレッキレの大臣の名前として出てくる。私のお気に入りの登場人物だ。
固有名詞と思っていたものが、図書館の修飾語として出てきたのだ。
これは単なる人の名前ではなく意味ある言葉だったのか、と調べた。
浩瀚とは、広大なさま。特に書物や知識などの量の多いさま。なるほどねー。
キレッキレの頭脳を持つ人を表すのに、とても妥当な名前だわー。と一人で納得。

私は親から「勉強しろ」と言われたことが無い。むしろ「勉強やめて早く寝ろ」と、言われることが多かった。
放っておくと、日がな一日家にある百科辞典(Aから始まる30巻を超える5~6㎝もの厚さの本たち)で、辞典サーフィンをして知らない言葉調べをしている子供だった。
何かを調べる、説明の中に知らない言葉が出てくる、そうするとそれを調べる、終わりがない知識の海で遊んでいた。
その結果、こんな変な人間に育ってしまった。

言葉はおもしろい。教育は難しい。