第127回言葉とともに生きる
このコラムをご覧になっている方のなかには、「看護師は、患者さんやご家族に寄り添う一番近い存在である」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。
しかし、寄り添うとはどういうことでしょうか。
少し長くなりますが、自身の臨床時代の話をさせてください。
ある時、私が受け持っていた患者さんのご家族が医師から非常にシビアな説明を受けました。そして、意思疎通が出来ない患者さんの代わりに、治療方針の選択はご家族に委ねられることになりました。ご家族は、本人は生きたいと思っているのだろうか、それともここまで頑張ったからもう十分だと思っているのだろうかという葛藤を抱えながら、静かに涙を流しました。その後、胸の内をお話しくださるなかで、私は想像を超えるご家族の苦悩と覚悟を知ることになりました。
しかし、当時の私に出来たことといえば、ただ傍らに座り、背中をさすることだけでした。目の前に苦渋の決断が迫るご家族にかける言葉など、到底見つからなかったのです。
「寄り添う」という言葉は学生時代に何度も聞きましたし、自分もそうありたいと強く思っていました。しかし、いざこのような場面になると、どうしたらいいのか途端に分からなくなってしまったのです。自分が大事にしてきた言葉が抜け殻同然に思えた時の落胆は、何とも言い難いものがありました。
それでも、同時に気づいたことがあります。
言葉を知っていることと理解することは別の話である、ということです。つまり、言葉そのものに看護の羅針盤はなく、問われているのは自分自身だということをはっきりと認識したのです。
辞書に言葉の意味が定義されていますが、どんな目的でどのように使うのか、受け手としてどのように解釈するかは人によって異なります。ひいては、言葉によってもたらされる行動も人それぞれです。
冒頭にお話した出来事で考えると、当時の私は「寄り添う」という言葉の解釈を疎かにしていたがゆえに、悩みに陥ってしまったのでしょう。結果として、悩みぬいた末に「寄り添う」ことにただ一つの答えはありませんでしたが、その都度明確な目標をもとに看護に向き合ってきました。そして、今もその言葉の意味を育てているところです。
今回は「寄り添う」という言葉を取り上げましたが、世の中には本当に沢山の言葉が溢れています。そして、その多くは生涯にわたって出会えない言葉ばかりです。逆にいうと、触れることのできる言葉に限りがあるからこそ、日常に溢れる言葉たちを大事にしたいと思っています。
みなさんにとって、言葉とはどのような存在でしょうか。
今後、みなさんの心にとどまるような、大切に思える言葉との出会いがあると嬉しく思います。
画像出典:中央法規出版 https://www.chuohoki.co.jp/products/welfare/3019/
満月の夜、母を施設に置いて 藤川幸之助
「扉」という詩がきっかけで出会った本です。
下記のURLには、母親に対する著者のまなざしが紹介されています。
声にならない言葉について深い洞察がなされていますので、よろしければご一読ください。
介護・福祉の応援サイト けあサポ 「詩人 藤川幸之助のまなざし介護」
https://www.caresapo.jp/kaigo/blog/fujikawa/2009/05/post_8.html