仙台赤門短期大学 看護学科

宮城県仙台市の看護師養成学校|仙台赤門短期大学 看護学科

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第124回『My scale』を持ちましょう

寺田 みゆり

 今回は、私の看護師・教員・娘という立場・経験から伝えたい、 『My scale』 について書こうと思います。

1.『イチ、ニノ、サン』

 複数で、患者様 (在宅看護などでは、ご利用者様) を移動・移送する場面があるかと思います。人とタイミングを合わせる時のかけ声ですが、私は、何かと使いがちな 『セーノ』 よりは、 『イチ、ニノ、サン』 をお勧めしたいです。
 『セーノ』 の語源については不明ですが、 『日本国語大辞典』 によると、 『セイノオ』 は感動詞として1971~1973年に初出と思われる記載があったそうです。また、複数辞典に 「力を合わせて物を動かすとき」「一斉に始めようとするとき」 のかけ声という記載があるそうですが、別の辞典によると 「どちらかというと遊び(ゲーム)のかけ声」 との記載もありました。
 『セーノ』 だと、物の移動の時、『イチ、ニノ、サン (一、ニの、三)』をヒトの移動の時、と解釈できると思います。
 某大学病院勤務当時は、先輩方から 「患者様に対しては敬意を持ち、『セーノ』ではなく 『イチ、ニノ、サン』 を使いましょうね」 とご指導を受けておりました。
 看護技術が確かであれば、移動・移送の声がけには問題ないと思う方が、いるかもしれません。しかし、発せられた言葉を聞いた患者様側が、どう感じるのかを考えなければならないと思います。許容なさる方、気にされる方、いろいろな方がいらっしゃるわけですが、是非お一人おひとりに敬意を持って関わっていただければ、と思っております。

2.親指(母指)の 『ニセンチ』、エキスパンダーの 『ニジュッセンチ』

 解剖学の文献によると、成人の母指の爪を横断しての指幅は約『ニセンチメートル (2㎝ )』 です。
 例えば患者様の皮膚観察の場面で、発赤・発疹・薬疹・硬結などの大きさ、褥瘡や創部の長さ、範囲などを短時間のうちに計測する場面があるかと思います。
 メジャー実測が必要なケースを除いた場合、是非、ご自身の『二センチ』を患者様の身体近くに当てて、数値を把握されると良いと思います。
 母指での計測が追い付かない場合、次の方法をお教えいたします。片手を(ジャンケンをする時の)『パー』の形にしてみましょう。第Ⅰ指(母指)先から第Ⅴ指(小指)先までの長さ(エキスパンダー) は、解剖学の文献によると、約『ニジュッセンチメートル (20cm)』との記載がありますので、活用なさると良いと思います。
 20cmの長さとは、A4サイズのコピー用紙で例えるならば、横の長さ(実際値21cm)くらいです。ご自身の『パー』の手を実際にコピー用紙に当ててみると、イメージしやすくなります。

3.心臓マッサージのリズム 『100~120』

 私は、看護師当時、患者様の急変で、勤務スタッフ総動員での一次救命処置 (BLS) 、心臓マッサージの場面に遭遇しております。生還された方、そうではなかった方を見とどけてまいりました。
 また、私自身も、施設外で一般の方の緊急時に遭遇し、心臓マッサージを致したことがありました。その時は幸い、お元気になられたのを見とどけることができました。
 某看護学校で勤務した際、毎年、管轄消防署での救命講習を続けていた同僚に感化されて、私は一度、消防署主催の救命講習を受講いたしました。隊員の方に教えていただいた事のひとつに、 『心臓マッサージの際、頭の中で、ある曲を思いながら実施するとマッサージ速度が一定化される』 という事がありました。
 当時そこでは、 『1分間に100~120回の速さ』 を教えていただき、曲名は『365歩のマーチ』 あるいは 『ドラえもん』 などが上記リズムにあてはまるとの事でした。私も、頭の中で、曲のリズムをイメージして講習をさせていただきました。最近になり、友人に話したところ 「 『世界にひとつだけの花』 『パプリカ』 など(の曲)もあるよ」、 と教えていただきましたので、よろしかったら参考にしてみてください。

4.『ジャネーの法則』、そして身近な人と過ごす残りの時間から考える『My scale』

 フランスの哲学者ポール・ジャネーが発案した『ジャネーの法則』について、書きます。
 その法則は、 『主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理的に説明したもの』 だそうです。
 『人生のある時期に感じる時間の長さ (心理的時間の長さ) は年齢に反比例する』という事だそうで、1歳=365日を基準にして、時間の長さを計算するそうです。
 『ジャネーの法則』から計算するならば、1歳の頃の1年間 が365日であるとすれば、20歳の人間が体感する1年間は18.25日であり、50歳の人間だと1年間は7.3日になるそうです。
 ある日、某テレビ番組の中で 『身近な人と過ごす時間は、あとどれ位残されているのか』 について取り上げていました。
 その番組では、厚労省データの「簡易生命表(最近年) 」で平均寿命を、男性81.47年、女性87.57年という数値をもとに、親と、あとどれ位の時間を過ごすことができるのか、計算するという番組内容でした。男女の平均寿命を 「85歳」として、計算していました。
 現在の親の年齢が60歳である場合、親元を離れて生活している方で、1年間に6日間を親元の家で過ごす人の場合、

 6日間×(85歳-60歳)=6日間×25年間=150日間と算出するそうです。

しかし、実質1日24時間全てを、起き続けて親に関わるのは難しいです。睡眠時間や入浴・トイレ時間、場合によりひとりでスマホ・パソコン操作などで過ごしている時間もあるかもしれません。その時間を除くと、150日間より更に短い時間となる訳です。例えば、一日 (24時間) から、睡眠時間 (8時間)、ADL (日常生活動作)時間1) とスマホ・パソコン操作時間 (4時間) を単純計算で引き算をした場合、1日のうち12時間は親と会っていることになります。 (注)1三食とも親と食事をすると仮定

 12時間×6日間=72時間です。1年間のうちに72時間を親と過ごす計算になりますが、日数に換算するとわずか3日間です。仮に60歳の親が85歳で亡くなると想定する場合は、72時間×25年間=1,800時間ですから、残された時間1,800時間が親と過ごせる時間となる計算です。1,800時間は日数に換算すると、25年間のうちのわずか75日間です。
 時間に対する考え方や使い方は、お一人おひとり違っているかと思いますが、私自身、親が存命時にしておきたかった事の多さを、なくした後に悔いているところです。
 皆様の保護者や身近な方と過ごせる限られた時間を、大切にしてください。

 看護を学ぶ皆様に、『My scale』 を持つことについて書きました。何年か先、思い出していただけると幸いです。