仙台赤門短期大学 看護学科

宮城県仙台市の看護師養成学校|仙台赤門短期大学 看護学科

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教職員コラムリレー
Akamon Column Relay

第121回法を正しく知っていればこそ、人の命を守り、やるべきことが見えてくる…

医療・福祉関係法規担当 安倍 藤子

 今季最後の旧カリキュラムで、3年生の医療・福祉関係法規を担当させて頂いた。私の学位は、多くの先生方のもつ看護学ではなく法学である。この変わった経歴は、臨床にいた時に、看護師が、看護師の業務範疇外ではと思われる業務を医師に言われるまま実施したという事態に遭遇したことに端を発する。現在であれば、教育を受けその医行為の実施を認められた看護師であれば問題はないが、そのような制度もなかった時代である。実施後に異変が起きたわけではなかったが、その看護師は、実施することでその患者さんに次に起きそうなことを想定できていたのだろうか、異変が起きた時に次の手立てを考えていたのだろうか…簡単な操作でもあり、そんな考えには至っていなかった…ということであった。せめて、看護師が医師の指示があってもやってよい業務の範疇ではないのでは…と考えられれば、次にとる行動は決まってくる…看護師を業とするならば、保健師助産師看護師法をしっかり学んで患者の前に立ってほしいと強く思った。法を正しく知っていればこそ、人の命を守り、今やらなければならないことが見えてくる…今も揺らがない。
 この思いの源にあるのは、1905(明治38)年1月、日露戦争下の満州に軍医として従軍した三上剛太郎の話からである。極寒の黒溝台(中国東北部でかつての満州地域、豊富な鉱産資源があった)に設営した救護所を、ロシアのコサック兵が包囲し全滅の危機に瀕した時であった。剛太郎は、戦時下の負傷兵の保護などを定めた「ジュネーブ条約」を思い出し、とっさに三角巾2枚と赤い毛布を切り裂いて縫い合わせ「赤十字旗」を作成し、救護所に掲げた。これを見たコサック兵は発砲攻撃を止め、立ち去った。剛太郎もコサック兵も法を正しく知っていたからこそ、敵も味方も含めた負傷兵の命が救われた。
だからこそ、どんな時でも法を正しく理解し人の命を守る看護師を育てたい、と今日も思い行動している。
※「三上剛太郎と手縫いの赤十字旗」日本赤十字社青森県支部ホームページより引用。青森県下北郡佐井村出身。医学の他にもあらゆる分野の書物を読破し、80歳を過ぎて少年時代の夢「レ・ミゼラブル」を原語で読むため辞書を片手に独学でフランス語をマスターしたそうです。「死ぬまで勉強」は剛太郎の口癖だったようです。(三上剛太郎生誕150周年特設サイトより)