第117回高齢者看護学概論 ~老いるということ、老いを生きるということ~
<自己紹介>
私は高齢者看護学領域で講師を務めている岡田康平と申します。
「自分自身が身体をゆだねてもいい看護師の育成」を信条に掲げ、日々、講義・実習において学生と共に切磋琢磨しながら自身の責務を果たしています。
今回ご紹介するのは自身が担当する「高齢者看護学概論(1年後期、必修科目)」の講義です。散文ですが、最後までおつきあいいただけますと幸いです。
「人間五十年の究(きわ)まり、それさえ我にはあまりたるに、ましては浮世の月見過ごしにけり末二年」
これは、江戸時代の大坂の浮世草子・人形浄瑠璃作者である井原西鶴(いはらさいかく)の辞世の句です。
どういう意味なのでしょうか?
少し、お考えいただいて…答えは下にあります。
「人間の人生は50年であり、それからみると自分は2年も余分に生きてしまった(月を見ることができた)」
という意味です。
江戸時代の平均寿命はおおよそ平均35~40歳程度であったということが言われていますが、そのことを踏まえ私たちの現況を見つめてみましょう。厚生労働省の資料によると2023年10月時点で、男性の平均寿命は81.05年、女性の平均寿命は87.09年ということなので、江戸時代の平均寿命の2.5~3倍、長生きしていることがわかります。
人間が長寿を迎えられることが可能となった社会をとても喜ばしく思いますし、この国に生を受けたこと自体に感謝いたします。しかし、一方では長寿大国になったが故の様々な“乗り越えなければならない課題”にも直面することとなりました。
高齢者を取り巻く環境という面では、介護の問題や認知症者の増加など多くの課題を抱え、その家族をも巻き込んで、様々な困難があるということもまた事実なのです。よって現場では、こうした時代の変化に対応できる看護師のエキスパートが強く求められています。
そして日々そうした諸々の課題をみつめていると、少なからず課題の根底には高齢者に対する認識の差があるように思います。
私の授業の冒頭では、高齢者に対する老いのイメージを学生さんに身体的側面・心理的側面・社会的側面の3側面から問いかけます。
学生さんの発想は、豊かで無限でとても面白いです。
「様々なことを知っている」「知恵の宝庫」「なぜか無条件に優しい」などポジティブな捉え方をする学生さんがいる一方で「疲れやすくて歩くのがしんどそう」「頑固で意思を曲げない」「歳をとりたくない」などネガティブな捉え方をする学生さんもいて、結果的にはネガティブな捉え方をしていた学生が7割強に及びました。
私は講義の中盤で、私と同じ生まれである青森県の冒険家、三浦雄一郎氏について紹介します。
以下、説明抜粋-
冒険家でプロスキーヤーの三浦雄一郎さん(86)が来年1月、南米大陸最高峰アコンカグア(標高6962m)の登頂とスキー滑降に挑む。80歳で世界最高峰エベレスト(8848m)に登頂した三浦さんは「自分の可能性を広げたい」と意欲を見せている。
挑戦に向けトレーニングを重ねている三浦さんは「高齢者特有の体のトラブルを乗り越えてチャレンジしたい。自分への素晴らしい試練だ」と話す。
三浦さんは取材に対し「自分が挑戦し続ける姿を見て、同世代の人が『もっと頑張ろう』という気持ちになってくれるとうれしい。スキーや低酸素下でのトレーニングをして、ベストを尽くせるよう準備をしたい」と話した。
学生さんは自身のイメージと三浦氏のコメント(特に太字)にギャップを感じるのでしょう。その後、学生さん同士で意見交換をするのですが、講義終了後にはおおよそ学生さんの高齢者に対するイメージがポジティブな方向にシフトしていきます。
「ネガティブな見方をしていると、自分自身がネガティブな高齢者になる。逆にポジティブな生き方をしていると、自分自身がポジティブな高齢者になれる、ということが講義で理解できました」
は授業評価コメントに記載されていた実際の学生さんのコメントです。
最後にひとつ、なぞかけをしたいと思います。
私が実習指導でよく使うフレーズを以下にご紹介いたします。
「できないところに目を向けるのでなく、できるところに目をむけた方がその人のその後の人生が広がる」
これを見た在校生の皆さん、これから出会うであろう高校生の皆さん、意味を考えてみてください。
高齢者に敬意を示し愛着の眼で見てくれる学生さんを一人でも多く増やすために日々頑張っています。
長文でしたが、お付き合いくださりありがとうございました。