仙台赤門短期大学 看護学科

宮城県仙台市の看護師養成学校|仙台赤門短期大学 看護学科

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教職員コラムリレー
Akamon Column Relay

第115回「空に向かって」

鈴木 慈子

9月はお彼岸がありますね。

私が育った家は本家やお墓から遠く離れた町にあったので、お彼岸は恥ずかしながら、意味もよく分からずおはぎを食べるだけでした。

 

お彼岸は、この世と彼岸(あの世)が通じやすくなる日。

ここ宮城では、田んぼの脇に彼岸花を見かける季節です。

近年は、この時期になると思い出す人がいます。

 

ちょうど9月に空へ旅立っていった、同世代の友人です。

彼女は患った病が不治の状態にあることが分かってから、自ら生き方を変え、身体の声をよく聴くようになった人でした。

身体に現れる変化をよく観察し、徴候を感じ取り、少しでもよい状態を保つための方法を模索し、実験し、その経過を楽しそうに報告してくれました。

彼女は、私がその病気や最期の経過を良く知っている看護師だとわかっていました。

しかし彼女は、私に医療的な情報や助言は一切求めてきませんでした。

私もおせっかいな看護師の役割はかかりつけの医療者にお任せして、ただただ彼女のセルフケア実践力に感嘆しながら、一緒に笑い、彼女のつくる愛情こもった美味しいご飯をごちそうになっていました。

 

最後に会えたのは、亡くなる約1か月前のこと。

もう車の運転も、外でのランチも、一食分のご飯を食べることも、身体がきつくなってきていることが、姿勢や息遣いからわかりました。

それでも、一緒に美味しいものをかこみ、彼女が最後に関わった仕事の話を聞き、たくさん笑いました。

「あぁ~、今日はとても楽しかった!」

その時の、痩せたけれども心底楽しそうだった彼女の笑顔、忘れられません。

 

看護師というものは、友人や家族との付き合いにどこまで「看護師アイデンティティ」を発揮するのか、時にやっかいだなと思います。

彼女が亡くなった知らせを受け、「友人として、何ができただろう。看護師として、役に立てることはなかったか?」と葛藤しました。

しかし、「お友達には笑いながら楽しく付き合って欲しいと、ずっと言っていた」というご家族の言葉を聞いて、「彼女は私を最後まで友人でいさせてくれたのだ」と思えるようになりました。

火葬の後、集った彼女の友人たちと見あげた空は、龍が昇っていくようでした。

 

「彼岸花」の別名「曼珠沙華」は、サンスクリット語で「天界に咲く花」「見る者の心を柔軟にする」という意味があるそうです。

今年は暑さのせいか、彼岸花の茎が長いというニュースを聞きます。

空に向かって伸びる彼岸花と一緒に高くなった空を見あげ、彼女と笑いたいと思います。