第114回『まぁるい死』
この本が河北新報に紹介されたのは、2020年7月 私はその部分を切り抜き
その日のうちに書店に足を運んだ。
なぜ「まぁるい死」なのだろう?妙にこのネーミングに惹かれた。
本が自分の手に入ると一気に読み終えた
鳥取に在住し、在宅診療をしている医師が綴った「朝日新聞」中国地方版に連載された
ものが書籍となり、出版されたものである。
私の中では、在宅診療は在宅看護にも通じるもの。心がゆさぶられるほど興味がわく。
一説を紹介しよう。夫をがんで亡くした妻の言葉から・・・・・
『悪性の病気で予後が良くない、残された時間は長くない、それは聞いて知ってました。
そうであっても、少しでも食べられたら、ひょっとして治るかもしれないと思うし、
お通じがあって、よう眠れて、熱が下がったりすると、ひょっとしてと思いました。
そんな時、看護師さんに「でも、それって一時的なこと、医学的には限界が来ると思いますよ」と言われると辛かった。
逆に「それは良かったですね」とおっしゃっても、後姿の気配が他人事だったりすると辛かった。
その時「ほんとに良かったですね」と心から喜び合ってもらえたらって、今も思いますね』
私は言葉や表現の意味を私なりの感性で受け止める。
一番難しいこと、でも一番大切なこと。「寄り添う」、そんなきれいな言葉では届かない
大切な臨床の本質。ケアの本質なんだ、それって。
看護師の決まり文句「患者に寄り添う」・・・???
看護師を目指す学生、今、看護師として仕事に従事している後輩。
ただその一瞬を一緒に喜び合えるか、相手の心を思いやること、それができるコミュニケーション力を身に着けること。
それが大事なんだ。
『まぁるい死』の意味するものが、著者のあとがきに記されていた。
「臨床では、死に向かいながら死を咀嚼し、死をほどき、ほぐし、溶かす仕草に達する
患者さんや家族の姿を見る事がある。発せられる声、言葉にも柔らかな変化が生まれる。
死がまぁるく見える事がある。不思議で大切な光景だ。
人は1人ひとり違う。病気も1人ひとり、死も1人ひとり違う。人は1人ひとりが宇宙の小さな星のようなものだと思う。
それぞれの影と光を有する。1人ひとりの姿が、1人ひとりの死が、叶うことならまるみを持つことが出来ればと願う。」
家族の顔が逝く人を優しく包み、思い出を語り、「ありがとう」と手を握り、頬に触れ
頭を撫でる・・・きっと、もっと何かがある。
でも、訪問看護では何度か、そういう体験をしている自分がいた。
病院という場所であっても、こういう体験が出来る場面をつくればいい
そのような看取りを是非考えてもらえたら嬉しい限りである。