第105回オキシトシンの威力
私が臨床現役だった時のことです。“赤ちゃんを抱っこした病衣姿の女性が歩いている!”と守衛室から連絡を受けた。とっさにスタッフ全員が ”Aさんだ!” と顔を見合わせ、お迎えに走った。Aさんは家出中の妊婦で飛び込み分娩(健診未受診)後3日目であった。このようなケースの場合は、児童虐待の可能性が高いハイリスク者と位置付けられ(その後2009年児童福祉法に明記された)、特に重要な支援が必要であるとされている。
そこで、産後目標は児童虐待の回避をあげ、計画と実践は “母乳栄養” で統一した。(児童虐待回避の対応は多様にあるが…)母乳吸啜時にオキシトシンが繰り返し分泌され、そのオキシトシンの作用は、児がかわいいと思えるように促進されるからだ。案の定、無断離院の時も赤ちゃんを抱っこしており、スタッフもホッ!とした。(もちろんオキシトシンの効果だけとは思っていないが、赤ちゃんを愛しい存在に感じてくれたのではないか) その後、実家の家族のもとに無事退院し、地域看護にバトンタッチできた。
オキシトシンは別名「愛情ホルモン」「幸せホルモン」と呼ばれ、男女を問わず人間、誰もが分泌し世の中に安寧をもたらしてくれるものである。人同士や動物とのスキンシップ、柔らかいものに触れる、マッサージ、アロマ等心地良い環境で多く分泌されるといいます。
とりわけ女性の場合、出産とオキシトシンは、切っても切れない関係のホルモンです。オキシトシンは「迅速な出産」という意味のギリシア語から命名されています。出産は陣痛がないと進みません。陣痛が弱いと「出産するためには、陣痛を強くするオキシトシンという注射がありますが、どうしますか?」と産科医が提案する。「お願いします」と答えて出産に至る産婦も多い。
このオキシトシン!大量に分泌されている時は、 “良いものはより良く、悪いものはより悪く強化される” 性質があるらしいということを後に知った。出産時が人生最大の分泌時である。出産体験が「良いもの」、あるいは「悪いもの」、どちらとして記憶されるのかは、脳内神経伝達物質としてのオキシトシンの作用らしい。果たして私が関わった産婦さんは、どう強化されて記憶されているのだろう。とても気がかりである。