仙台赤門短期大学 看護学科

宮城県仙台市の看護師養成学校|仙台赤門短期大学 看護学科

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教職員コラムリレー
Akamon Column Relay

第104回日々是好日

越川 暢恵

半世紀以上生きて、さて、私はどんな最期を迎えるのだろうと、

目下のところそれを想像するのが、癖になっています。

癖というか、きっとそういうお年頃になったのでしょう。

「まだ早いまだ早い」という声が聞こえてきそうですが。

 

こんなことを書くにはそれなりの理由があります。

そもそも私は仮死状態で生まれたそうです(臍帯巻絡が原因)。

子どものころは小児喘息を患っていました。

母に、2人目を躊躇させるくらい大変だったようです。

小学生の頃の記憶は正直、あまりありません。

夏休み中ずっと(墓参りも兼ねて)北海道の親戚の家に行き、

帰って来ては泣き泣き宿題をしたことが思い出されるくらいです。

中・高と文化部所属でしたが、続かず、そのうち帰宅部に。

入学した全寮制の看護学校では、3年間皆勤賞や精勤賞受賞の

強靭なクラスメイト達と生活を共にしました。

皆とほぼ同じADL、なのに私は年に数回発熱しては欠席していました。

入職3年目の初秋に3か月間病欠し、数年夜勤を免かれました。

30代でも半年ほど仕事を休むことになり(詳細は略します)…。

40代に至り、津波(東日本大震災)を目の当たりにした際は、

‘人生ままならないのが普通なのかもしれない’と、

ここにきて、なにかストンと腑に落ちるものがありました。

 

平成30(2018)年あたりに、人生の最期について考えましょう!という、

いわゆる「ACP(アドバンス・ケア・プランニング)」が推奨され、

(「人生会議」は、ACPの‘愛称’だそうです。ニックネームだったとは…知らなかった)。

その後「エンディングノート」や「終活」といった事と言葉が流行しました。

最近では最期の要望を書く以外に、日常的な忘備録として、あるいは人生を振り返り、

残りの人生のあり方を考えるために、エンディングノートを書く方もいらっしゃるとか。

 

私は、この度自分の半生をざっくりとここで振り返りました。

‘ままならない’、言いかえれば「パリッ」としない半生であったなあと思っています。

生きたようにしか死ねない、生きてきたような最期を迎える、とよく言われますが、

前述のような半生の延長上にはどんな最期が待っているのかしら、と訝しんでいます。   

これまで、目指す方向よりいつもいくらか角度が逸れた方に進んでいる気がするのに…。

やっぱり最期まで「パリッ」としないのかなあ、もう少し何とかならないのかなあ、

計画を立てたら、エンディングノートを書いたら何とかなるかなあ、云々。

 

世の中では様々な出来事が起きているというのに(詳細は略します)…。

こんなことを不謹慎にも暢気に妄想できる、「今日も良い日」と思う日々です。

(‘最期’のイメージ:感謝とお花畑)