第103回『おのころ島』
「おのころ島」と聞いて、あーー、あの島ね!と思う方はどのくらいいるだろうか。
なかなか東北人にとっては、なじみのない島名だと思う。
前回のコラムの最後、淡路島のおのころ島が日本の始まりであり、伊弉諾(イザナギ)神宮が各神社の中心に位置するとブラタモリで観て、淡路島に行ってみたい!と書いた。
その後、念願叶い淡路島を巡ることができたので、今回は「諭鶴羽(ユヅルハ)神社」・「おのころ島神社」そして「伊弉諾(イザナギ)神宮」を訪れたときのことに触れてみようと思う。
四国から大鳴門橋を渡り淡路島へ上陸し、最初に向かったのは淡路島南部にある「諭鶴羽(ユズルハ)神社」。この神社は正直なところ、それまで名前も聞いたことなく、当初行く予定はなかった。だが、後でお話しする「伊弉諾(イザナギ)神宮」の南に位置し、「陽の道しるべ」に登場するため行ってみることにした。途中、海沿いの道から、朝日に照らされる「沼島(ヌシマ)」を見ることができ、なんとも言えない感動を覚えた。(沼島には、伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉冉尊(イザナミノミコト)がおのころ島を作ったときの形跡が残っているとされ、沼島こそがおのころ島という説もある。)<写真1>
『日本書紀』によると伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉冉尊(イザナミノミコト)の二神が天上の「天浮橋(アメノウキハシ)」に立って、「天沼矛(アメノヌボコ)」をもって青海原をかき回し、その矛を引き上げたところ、矛の先から滴り落ちる潮が凝り固まって一つの島となった。これが「おのころ島」で、二神はその島に降りて夫婦の契りを結んで国産みを行った。初めに造られたのが淡路島で、その後次々に島を生んで日本国を造られたとされる。また、諭鶴羽(ユヅルハ)神社(羽生結弦選手が参拝に何度か来ている写真があった)から少し歩いた無料休憩所の近くには、沼島にある「天の浮橋」の遥拝所があり、今回時間の都合で泣く泣く沼島上陸を諦めていたが、諭鶴羽(ユヅルハ)神社に急きょ立ち寄って、よかったなと思った。<写真2>
次に向かったのは、淡路島中部にある「おのころ島神社」である。とても大きな鳥居がそびえ、遠くからでもすぐに分かり圧倒的な存在感があった。<写真3>おのころ島神社には「鶺鴒石(セキレイイシ)」があり、縁結びのパワースポットとしても有名だそうだ。<写真4>
伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉冉尊(イザナミノミコト)が正殿前にあるこの石の上に、つがいの鶺鴒(セキレイ)が止まり夫婦の契りを交わしている姿を見て、夫婦の道を開き、子を生んだとされる。ちなみに、その鶺鴒(セキレイ)のしぐさが現在も神前結婚式の「三・三・九度」に受け継がれているそうである。
そして最後に向かったのは「伊弉諾(イザナギ)神宮」。日本の中心であるとされる神社である。<写真5> 境内の西側にある、「陽の道しるべ」には、伊弉諾神宮を中心に東西南北に名だたる神社がしるされていて、本当にここが日本の中心であり、始まりなのだと実感した!「陽の道しるべ」によると、伊弉諾(イザナギ)神宮を中心に、北に「出石神社」(兵庫県)、北東に「諏訪神社」(長野県)、東に「伊勢神宮(内宮)」(三重県)、南東に「熊野那智大社」(和歌山県)、南に「諭鶴羽神社」(兵庫県淡路島)、南西に「高千穂神社」「天岩戸神社」(宮崎県)、西に「海神神社」(長崎県対馬市)、北西に「出雲大社」「日御碕神社」(島根県)が存在するという。日本には、それこそ数多くの神社が存在し、それぞれの方角に何かしらの神社が存在することはわかるが、伊弉諾(イザナギ)神宮を中心にこれだけの有名な神社が存在することは、とても興味深い。私的に今まで行った中での一番のオススメは、和歌山県にある「熊野那智大社」なので、機会があれば皆さんにもぜひ足を運んでみてほしい。このうち、まだ行ったことがないのは「出石神社」と「海神神社」なので、いつか両神社を訪問し、私自身の「陽の道しるべ」を完成させられるといいなと思っている。
<写真1>沼島(おのころ島)
<写真2>沼島(天の浮橋遥拝所)
<写真3>おのころ島神社
<写真4>鶺鴒石(セキレイイシ)
<写真5>伊弉諾(イザナギ)神宮