仙台赤門短期大学 看護学科

宮城県仙台市の看護師養成学校|仙台赤門短期大学 看護学科

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教職員コラムリレー
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第57回「娘たちのネービー・ブルー」によせて

寺田 みゆり

私の出身高校の事を書きます。

宮城県石巻好文館高等学校は、明治37年4月に「私立石巻女学校」として創立されました。

その後何度か名称が変更されましたが、大正10年4月に「宮城県石巻高等女学校」と改称、

昭和23年4月に学制改革により「宮城県石巻女子高等学校」と改称されました。

その後、平成17年2月からは男女共学となり校名は「宮城県石巻好文館高等学校」に改称され、現在に至ります。

ちなみに「好文木」は「梅」の古語です。

 

宮城県石巻好文館高等学校は、東日本大震災時、浸水被害に合いながらも、

多数の被災者を受け入れた場所のひとつでありました。

発災当時、私は関東に暮らしており、母校の同窓会関東支部の役員をしておりました。

未曾有の大災害で混乱の中、役員総出で母校の安否確認の連絡を発信し続けましたが、全くつながりませんでした。

1~2週間後のある日、パソコンと携帯電話で母校に発信を続けたところ、私の携帯電話に、校長先生からのメールが届き、

県庁から調達していただけたパソコンから発信できた旨を知りました。

以降、日々の石巻の状況を校長先生のメールからいただく事になり、

私が各役員メンバーに内容を連絡する日々が続きました。

後日、校長先生のご承認を得て、当時の私とのメール文のやり取りを、

その年の同窓会広報誌に掲載する事になりました。

震災から十年を経て、母校は今年新校舎の建て替えが終了する予定です。

創立当時は羽黒山に校舎がありましたが、その後現在の場所に移転し、今年(令和3年)は創立110周年の歴史を持っています。

「白梅」を形どったものが校章となっており、「横須賀白梅隊」という名前は、校章に由来するものでした。

校舎に残された「百年史」に学徒動員の記録がありましたが、

この度学徒動員に赴いた方自身が母校同窓会広報誌に投稿されたのが縁で、

「娘たちのネービー・ブルー」という本の存在を知る機会がありました。

母校内に一冊が保管されているそうです。

 

母校卒業生の約50名が、昭和19年10月~20年6月、16歳の年に志願して横須賀の地に赴き、

勤労動員として過ごした日々を記録に残したその当時の方々は、現在90歳を過ぎたご年齢であると聞いております。

2018年の同窓会広報誌に、勤労動員後に医療の道に進み数年前まで現場でご活躍された方からの投稿がありました。

同窓会役員会議の折、「宮城県石巻高等女学校昭和二十年卒生 横須賀白梅隊」の方々が出版された本

「娘たちのネービー・ブルー」の事を支部長より聞いておりました。

上記の女学校名は、時代の流れで何回か学校名が変更されておりますが、

同窓会として途切れる事なく現在まで続いております。

最近、関東在住の支部長より私のもとに封書が届きました。

同窓会関東支部事務局で一冊保管している旨も知らされていました。

「読書希望時はご一報ください」との内容でした。

 

休日のある日、私は「娘たちのネービー・ブルー」が身近な場所で借りることができるかどうか、を調べる事にしました。

インターネット検索と電話をしてみると、四冊を、全国の公的図書館の資料室に保管しているという事がわかりました。

その内訳は、国立国会図書館、宮城県図書館、神奈川県立図書館、昭和館の四施設であり、閲覧のみ可能との事でした。

昭和館所蔵についての経緯ですが、同窓会役員の叔母様にあたる方(この方も同窓生)が、この本が貴重な記録であると考え、

暮らしの手帖社「戦中,戦後の暮らしの記録」の募集に応募され編集部へ一冊を送ったそうです。

受け取った編集部は、東京都千代田区の「昭和館」(戦中・戦後の国民生活の歴史的資料・情報を収集、保存、展示し、

後の世代に提供する施設)に寄贈してはどうかと打診され、現在は昭和館図書室の蔵書として保管されているそうです。

 

先日、宮城県図書館に行く機会がありました。

資料室閲覧室の椅子に座り、その本を読みましたが、読み進んでいくうちに、

何度も目の前の文字が涙で霞みぼやけてしまいました。

当時の女学生自身での志願で、横須賀にある海軍軍需工場に向かった事、当時の生活の事、軍事作業の事、

配布されたお菓子の事、もらったお金を親の元に送った事、集団生活の中の楽しみの事、

空襲で一睡もできなかった日々の事、石巻から親が逢いに来てくれた事、

戦時下に体調をこわした時の、今では考えられない劣悪な環境の中支えあって生きてきた事、

日々の決められたスケジュールの中、30分間の間に50人程の女学生が交代で入浴していた事等、

戦争当時、横須賀の地で青春時代を過ごした出来事を各自が思い思いに書き、

一冊の本に残そうとした先輩方に尊敬の念を持たずにはいられません。

 

私のつたない説明では到底語りきれない事が多くありますが、過去の歴史の多くの方々の事を思い、

平和の大切さを忘れないようにしたい、と思います。

※「ネービー・ブルー」とは : ネービーは、海軍のこと。ネービー・ブルーは、英国海軍の制服に用いる紺色。