第44回メンキョ と ガクイ
今年で70歳になる自分が、昔、大学の医学部に入学したのは、18歳の時でした。
6年をかけて卒業し、無事に国家試験にも合格、医師免許もいただけました。
しかし自分は臨床医学に向かないと感じていたので、病院や患者さんとは無縁の、実験研究の道に進みました。
研究者になりたいというわけです。
なるためには、大学院を修了して、博士の学位を取らねばなりません。
そこで医学部の次は、大学院医学研究科に入学。
4年の修行を経て、医学博士の学位を頂戴した時は、28歳になっていました。
丸々、10年間も学生生活を送ったことになります。
10年も費やして得た免許や学位って、何だったのか?
当時の思い出を述べてみますに、先ず、免許。
医学部を卒業し、医師として病院に就職した同級生は、お給料をいただきます。
しかも、普通の市民レベルで言えば、初期研修医であっても、高給に属するのではないでしょうか。
一方、自分は、同じ医学部を卒業したのに、無収入で貧乏な大学院学生。
彼我の落差は、心理的には、非常につらいものがありました。
しかも差別待遇?は、一生、続くのです。
その後の人生において、自分は医師免許を持っている、なんて騒いだりしましたが、ダメ。
基礎医学の研究に医師免許は必要なく、医師としての給料はいただけないのです。
当たり前のことが分からなかった。
次に学位。
では、博士の学位を取得して、研究者としてどうなったかといいますと、
自分の場合は、米国に渡って、博士研究員のポジションにつきました。
1年目の年収は12,000ドル、当時の円ドル換算で、240万円くらいでしょうか。
博士研究員とは、1年契約を毎年更新する。
更新できなければそれで失職という、不安定な職で、それを7年近く、繰り返しました。
どうして1年だけの契約なのか、なんて騒ぎましたが、ダメ。
博士研究員は年雇用という当たり前が分からなかった。
以上、自嘲気味の自伝をまとめますと、自分にとって医師免許は、取ったけれど使わなかった、無用の長物。
医学博士は、世間で言うところの「足裏の米粒」 取らないと気持ち悪いが、取っても食えなかった。
何か良いことはなかったのかなあ?
研究者は貧乏が相場との悟りに達した今は、メンキョもガクイもありがたく、感謝の念しかありません、
もちろん、騒いだりなんかしません。
米国、ワシントンで、博士研究員の頃