第43回挫折があったからこそ
果たして、順風満帆の人生などあり得るのだろうか。他人からは順風満帆にしか見えないような人でも、
実際は「山あり、谷あり」の人生だったりする。
誰しも人生の中で一度は、挫折を味わったことがあるのではないだろうか。
人生初の挫折
思い起こせば、私にとって人生初の挫折といえるのが就活のとき。
第一志望の放送局で、アナウンサー試験を受けた。
筆記試験、原稿読み、カメラテストを経て、最終面接まで行った。
残った数人が横並びの面接だったので、客観的に自分を捉えても、「勝った」と思った。
が、結果は不合格・・・。
その時味わった挫折感が、その後の私の人生を大きく左右したと言っても過言ではない。
若い頃にありがちな「根拠のない自信」を見事にへし折られた、まさに初の挫折だった。
その時のアナウンス部長という立場の方が「君は他の放送局も受けてみた方がいいよ。絶対。」と言ってくれたが、
その言葉は私にとって何の慰めにもならなかった。
後でわかったことだが、合格したのはスポンサーのお嬢さん、一名だけだったとのこと。
その時点では、そんなからくりなど知る由もなかったので、
私の落ち込みようは誰の目からも見ても分かり易かったと思う。
三日間、誰とも口も聞けず、食いしん坊の私が食べ物を受け付けなかった。
後で思えば、たった一社落ちたぐらいでめげていた自分が、いかに幼稚だったかということだが、
そのまっ只中にあっては、やはり受け入れ難いものだった。
大げさに聞こえるだろうが、この世の終わりのような気分だった。
人間はとことん落ち込むと、あとは這い上がるしかないようにできているのかもしれない。
有難いことに時間が解決してくれた。
「悔しさをバネに」とはよく言ったものだ。
気持ちを切り替えて次に臨んだ。
採用されたのは地方の某テレビ局。
捨てる神あれば拾う神あり。
私は拾ってくれた神に心から感謝し、何でも吸収しよう、
きついことも率先してやろうと心に決め、貪欲に仕事した。
実際、いくつもの壁を乗り越え、自分が鍛えられていると実感できた。
やがて、自分の可能性を試してみたいと思い、フリーになった。
使い物になるか否かは自分次第だった。
台本を放り投げたⅯ氏
ある番組で、有名な大物司会者Ⅿ氏と司会を担当することになり、私は彼に失礼のない様、
細心の注意を払い、分厚い台本すべてを頭の中に叩き込んで本番に臨んだ。
いざ本番。
ところが直前にⅯ氏は、「僕、台本は全然覚えてないから、君、よろしくね」と台本をポーンと放り投げたのだ。
絶句している私に彼は微笑みながら肩をたたいた。
冗談はやめてくれぇーと思ったが、途方に暮れている場合ではなかった。
人生、予期せぬことが起こるものだ。
やるしかない。
好き勝手に話すⅯ氏のフォロー役に徹するしかない。
そう覚悟を決め、臨機応変に相槌を打ち、四時間に及ぶ収録が無事に終わった。
ディレクターが、「上手くやってくれてありがとう」と私に目配せをした。
「お疲れ様でした」と返した私の顔は完全に引きつっていたと思う。
まさかのトークショー
また、ある有名映画監督Ⅰ氏のトークイベントでのこと。
私は司会役で、最初に彼を紹介し、終わってからお礼のコメントを言う程度の役割だった。
主役はあくまでⅠ氏。
女性ファンが大勢いた。
私も客席で彼のトークを聞いて楽しむつもりでいた。
が、またもや予期せぬことが起きた。
本番直前になって彼から一緒に掛け合いのトークショーにしようとの提案。
そんな冗談はやめてくれぇー。
私の心の声は届かず、スタッフはさっさとステージに応接セットを準備し、満足そうに私に笑顔を見せるのだった。
なんでこうなるの?まさかの展開に目の前が真っ暗になりながらも、やるしかなかった。
Ⅰ氏について大した情報も持ってないまま、ぶっつけ本番となったのだった。
顔で笑って心で泣いて・・・。
なるようになれ!もう、破れかぶれだった。
今思うと、恐怖体験に近いのだが、「若さ」というその一点でこの恐怖を乗り越えたような気がする。
客席では誰もが最初からこういう演出だったと思い込み、疑う人などいなかった。
終わってからお客様に「とっても楽しかった。」と言われ、ほっとしたのを覚えている。
本当に予期せぬことが起こる。
仕事上それは何度も経験してきた。
その度に「出来ません」とか「無理です」という言葉は一切言えないのだ。
企業のトップに話を聞く
という訳で、フリーになってからの自分は、想像以上に鍛えられた。
数々の予期せぬ出来事に見舞われ、柔軟性、臨機応変さを身に付けることができただけではない。
「企業のトップに話を聞く」経済番組を三年間担当できたことは、あらゆる角度から社会を学ぶ絶好の機会となった。
どの社長の話も説得力があり、驚きと発見の連続だった。
企業が求める人物像には共通点があることに気付く。
例えば、素直さ、ひたむきさ、コミュニケーション能力などだ。
一つ一つの取材が私にとって大いなる財産になった。
子どもたちの心を育てる
テレビ局に入社し、その後フリーとなってテレビ・ラジオ番組、イベント司会などを担当し、
今、塾業界では異色の経歴の私が国語専門塾を主宰している。
私のこれまでの経験を通して、子供たちに伝えたいことが山ほどある。
大切なことはテストで百点を取る事ではなく、社会で活躍できる人間になるということ。
自分のなりたい職業で自分自身を輝かせること。
大学がゴールではない。
これからの人生を豊かにできるかどうか。
そのために今からどう自分を鍛えていくのか。
それは君たち次第だ。
今、私は
負け惜しみではなく、今はっきり言える。
第一志望だった放送局よ、あの時、私を不合格にしてくれてありがとう。
挫折や数々のピンチが自分を成長させてくれたことは確かだ。
だから若者たち、子供たちに言いたい。
挫折を味わっても立ち上がれ。
最後まであきらめるな。
諦めない限り、可能性はあるのだから。